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アーサー・ビナード「知らなかった、ぼくらの戦争」(小学館)-この国がこの先いつまでも《戦後》である続けるために、私たちは何をすべきだろうか

知らなかった、ぼくらの戦争

知らなかった、ぼくらの戦争

 

 

今年2017年は、戦後72年にあたる。1945年に太平洋戦争が終戦して以降、日本は戦争を起こすことなく72年を過ごしてきた。いわば、72年間平和であったと言うこともできる。

アーサー・ビナード「知らなかった、ぼくらの戦争」の前書きの書き出しにこうある。

ちょうど戦後四十五年のときに、僕はアメリカの大学を卒業して来日した。
つまり一九九〇年に。日本に来るまでは「戦後四十五年」を意識したことなどなく、認識すらしていなかった。

日本では太平洋戦争以後、別の戦争を起こしたり参戦したりしてこなかったため、“戦後”といえば意味はひとつしかない。しかし、著者の母国アメリカでは“戦後”といわれても意味が伝わらない。「その『戦後』って、どの戦争のあと?」と聞き返されてしまう。それだけアメリカは戦争を繰り返してきたからだ。

 

本書は、日本に来てはじめて“戦後”に触れ、戦争というものについて改めて考え直すために、太平洋戦争をさまざまな形で経験した方々の話を聞くドキュメンタリーである。もともとは、2015年4月から2016年3月に文化放送のラジオ番組「アーサー・ビナード『探しています』」から23人の戦争体験談を採録して加筆修正したものだ。

本書に登場する戦争経験者の方々は、直接戦争に従軍した経験を持つ人もいるし、子どもの頃に戦争を経験した人もいる。日本の起こした戦争が正しいと信じ、日本の勝利を信じて疑わなかったという人もいれば、欧米列強との戦力格差などを冷静に見て、この戦争の無謀さを感じ取っていた人もいる。沖縄戦で、日本軍の上級兵士たちが農民の姿に偽装して島の人たちを見捨てて逃げていったことを語る人もいる。満州終戦を迎えて命からがら必死に日本に引き揚げてきた経験をもつ人もいる。60歳のときにニューギニアに移り住み、ともに戦って死んでいった戦友たちの遺骨を収容する活動を続けた人もいる。

23人の戦争経験者の話と著者のコメントを読んでいると、戦争というのは権力者のエゴによって引き起こされ、一番犠牲をしいられる庶民には一切真実は伝えられないのだということがよくわかる。大本営発表として、戦争を引き起こした権力者に都合の良い情報を流し、偽りの情報すら流し続ける。現実を伝えられないままに、庶民は自分たちの国が勝利すると信じ、国のために我慢と犠牲に耐え忍ぶ。

2016年にオバマ大統領(当時)が広島を訪問したことが大きなニュースになった。原爆を落とした国の現職の大統領が、被爆地である広島を訪れ、原爆資料館を見学し、献花をし、演説をした。被災者をハグする姿が各局のニュースで中継された。しかし、あの日オバマ大統領が広島に滞在した時間は短かった。なぜなら、彼は岩国のアメリカ軍基地を訪れる目的があったから。岩国基地に駐屯する海兵隊をねぎらう時間の方が大事だったから。その後、12月に慌ただしく安倍首相がハワイに赴き真珠湾を訪れた。あのときは単純に感動を覚えたが、今回本書を読んでみて、あの相互訪問が互いの利益のために仕組まれたことなのかもと疑問を覚えるようになった。なぜなら、本書で著者も記しているように、あの広島訪問、真珠湾訪問が権力者のイメージ戦略として格好のネタになっているからだ。

日本は、本書に登場する23人のような方々の貴重な経験を過去の反省として、二度と戦争を起こさない国になろうと努力してきた。だから、72年間も“戦後”を継続してきた。これは世界に誇るべき栄誉だと思う。

だが、今この国は長く続けてきた“戦後”という誇りを手放そうとしているように思える。

「そろそろ我が国も戦える環境を作ろうじゃないか」
「国民に自由を与えすぎた。もっと思想を締め付ける必要があるんじゃないか」

と考えているんじゃないかと思える。

あの戦争がどれだけの悲劇を引き起こしたか、権力者たちは忘れかけている、いや忘れてしまったのではないか。

もしかすると、今はもう“戦後”ではなくなっているかもしれない。もしかすると、今はもう“戦前”なのかもしれない。