ガタガタ書評ブログ

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カレン・ジョイ・ファウラー/矢倉尚子訳「私たちが姉妹だったころ」(白水社)-両親と兄と双子の姉。でも、ローズマリーの家族はありふれた普通の家族ではなかった

私たちが姉妹だったころ

私たちが姉妹だったころ

 

 

『訳者あとがき』から引用する。

本を読み始める前に「あとがき」をぱらぱらめくってみる癖のある読者へ。綿密に練り上げられたこの小説のサプライズを作家の意図どおりに味わいたい方は、どうか先を読まずに本文にもどっていただきたい。サプライズは本編の第二章の中ほど、正確に言えば八九ページで明らかになる。

カレン・ジョイ・ファウラー「私たちが姉妹だったころ」は、主人公である《私》(ローズマリー・クック)が自らの家族について語る物語だ。

 

ローズマリーは、この物語を『真ん中』から始める。1996年の冬のことだ。クリントン大統領が再選し、チャールズとダイアナが離婚した年。ローズマリーは22歳で、カリフォルニア大学で5年目の大学生活を送っていた。ある日、カフェテリアでカップルのいざこざに巻き込まれたローズマリーは、混乱の中で警察に連行される。そして、一緒に連行されたカップルの女性の方、ハーロウと友だちになる。

ローズマリーには家族がいる。両親と兄、そして姉だ。今、彼女の家族はバラバラになっている。姉のファーンは、ローズマリーが5歳のときに突然いなくなった。ファーンがいなくなったことで、家族の関係は壊れる。兄のローウェルは高校生の時に家を出た。そして、動物を収容する施設などを襲撃するテロリストの仲間として警察に追われる身となる。すべては、ファーンのためだ。

それまでは幸福であった家族が、何かをきっかけに崩壊し、そして再生していく。本書は、確かにそういう家族の物語が描かれる。だが、当たり前の家族の形と、ローズマリーの家族の形が大きく異るところがある。それこそが、訳者あとがきに記されたサプライズだ。第二章の中ほど八九ページに記されたその1行が読者に与えるインパクトは大きい。私も読んでいて思わず目を見開いた。

ローズマリーと姉ファーンのような関係、フェーンを家族として迎えるというある種の実験は、現実にも行われた記録があると本書の中では記されている。家族として迎えるまではいかずとも、様々な形でコミュニケーションを研究することは、今でも行われている。ローズマリーとファーンは、ふたりがまだ幼い間は姉妹として仲良く日々を過ごした。まだ幼い同士でコミュニケーションを図り、互いを信頼できる関係だった。

ある事件がきっかけでファーンは家を出されてしまう。それは、ある意味ではいつか訪れる必然だった。しかし、それまで一緒に生きてきた家族がいなくなることで起きる影響は計り知れない。喪失感が家族を壊し、その傷はいつまでも消えることはないのだ。

物語のラストで、ローズマリーはファーンと再会することになる。ガラス越しにローズマリーとファーンは顔を合わせる。ふたりは互いに見つめ合い、ローズマリーはファーンから何かを感じ取ろうとする。

ファーンが何を考えているか、感じているか、私にはわからなかった。彼女の身体は私には縁のないものになっていた。それでいて同時に、私は彼女のすべてを記憶していた。私の双子の姉、ファーン。この広い世界でたったひとつの赤いポーカーチップ。まるで鏡を見ているみたいに。

どのような形であれ、家族とは美しく、そして悲しい。

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