タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

エドゥアルド・ハルフォン/松本健二訳「ポーランドのボクサー」(白水社)-祖父の左腕に刺青された『69752』の数字が意味する過去の物語。そして、今を生きる著者自身の物語。

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

 

 

69752。これはわしの電話番号だ。そこに、つまり左の手首と肘のあいだに、忘れないような刺青してもらったんだ。祖父は私にそう言った。そして私もそう信じて大きくなった。一九七〇年代、グアテマラの電話番帽は五桁だった。

表題作「ポーランドのボクサー」は、こんな書き出しで始まる。この短篇では、著者の祖父が若い頃に経験した話を著者が聞く物語だ。祖父の左腕に刻まれた五桁の数字が、彼にとってどんな意味を持つのか。何も知らない子どもの頃の著者は、その数字が祖父のアイデンティティにどんな影響を与えたのかを知らない。ユダヤ人である祖父が、アウシュヴィッツに収容され、そこでポーランドのボクサーと出会い、いかにして生き延びたのか。非常に短い小説の中に、祖父が経験した戦争の影が重く横たわっていると感じる。

 

エドゥアルド・ハルフォン「ポーランドのボクサー」は、グアテマラ出身の著者が自分の家族や様々な人たちとの出会い、交流を軸として自らのアイデンティティを描き出す中短編集である。本書は、原本である短篇集「ポーランドのボクサー」に、中篇小説「ピルマット」と「修道院を加えた日本オリジナル構成の作品集であり、巻末の訳者あとがきから抜粋すると全12篇の構成は次のようになっている。

「彼方の」:「ポーランドのボクサー」所収短篇
「トウェインしながら」:「ポーランドのボクサー」所収短篇
「エピストロフィー」:「ピルエット」第二章(「ポーランドのボクサー」所収短篇が原型)
「テルアビブは竈のような暑さだった」:「修道院」第一章
「白い煙」:「修道院」第二章(「ポーランドのボクサー」所収短篇が原型)
ポーランドのボクサー」:「ポーランドのボクサー」所収短篇
「絵葉書」:「ピルエット」第三章
「幽霊」:「ピルエット」第一章
「ピルエット」:「ピルエット」第四章
「ボヴォア講演」:「ポーランドのボクサー」所収短篇
「さまざまな日没」:「修道院」第三章
修道院」:「修道院」第四章

見てわかるように、本書の構成は元の3作をシャッフルする形になっている。短篇集である「ポーランドのボクサー」はともかくとしても、中篇小説である「ピルエット」は、本書に収録の順番で読むと《第二章→第三章→第一章→第四章》となり、掲載順が入れ替わっていることになる。また、「修道院」は掲載順は章構成通りであるものの、本書全体の中で見れば分断されて配置されていることになる。

私は、訳者あとがきを先に読まずに本書を読んだのだが、ひとつひとつの短篇は、レベルの上下はあるけれどどれも面白く読めたのに、読み進めていくとなにかモヤッとした胸のつかえのようなものを感じていたように思う。最後に、訳者あとがきで構成についての解説を読んで、なるほどそういうことかと思った。これは、著者と訳者の連携による企みであったのだ。訳者あとがきでは、著者とのメールのやりとりで「自分たちの『石蹴り遊び』を目指そう」と考えた話が紹介されている。コルタサル「石蹴り遊び」は未読だが、その構成が特長的な作品らしいので、読んでみたくなった。(実は積んでいる)

ところで、本書は第三回日本翻訳大賞の最終選考候補作品に選ばれていた。ちょうど、読んでいる途中だった2017年4月10日に最終選考結果が発表され、アンソニー・ドーア「すべての見えない光」と並んで、本書が大賞を受賞した。日本翻訳大賞は、作品の翻訳に対して与えられる賞だ。本書は、小説としての面白さもレベルが高いが、先述したように作品全体の構成に著者と訳者との連携と企みが仕掛けられている。日本翻訳大賞の受賞は当然の結果と言えるのかもしれない。

改めて、受賞おめでとうございます

 

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)