表題作になっている「あひる」については、掲載された文学ムック「たべるのがおそいvol.1」のレビューで書いたので、今回は単行本書き下ろしとなる2つの短編について書いてみたい。
本書には「あひる」の他に、「おばあちゃんの家」、「森の兄妹」の2編が収録されている。いずれも書き下ろし作品だ。2作品に共通しているのは、どちらも一昔前の昭和の子どもたちの情景ともいえる風景が描かれているということ。明確な時代設定が書かれているわけではないが、その情景からは昭和の匂いが感じられるように思う。
「おばあちゃんの家」は、同じ敷地の別棟に暮らすおばあちゃんと母屋で暮らすみのりたち家族との日常を描く。まだ子どもだった頃の、おばあちゃんの家で過ごす1日が平和な光景となって描かれていくが、ただ牧歌的に平穏な物語として終わらせないのが今村夏子という作家だ。
読み始めは、おばあちゃんと孫娘との温かい交流の物語としてスタートする。学校が午前中で終わる土曜日は、お母さんが作ってくれたお昼ごはんをおばあちゃんの家で一緒に食べる。みのりが、ごはんを食べたり、宿題をしたり、マンガを読んだりしている間、おばあちゃんは黙って手仕事をしている。平和だ。読んでいて「あぁ、懐かしいなぁ」と感じる。でも、読み進めるとちょっとずつ事情が変わってくる。おばあちゃんとみのり家族との関係であったり、時を経ていくうちに変わっていくおばあちゃんの様子だったり、みのりが迷子になったときのエピソードだったり。ポイントごとの描写が積み重なっていくと、最初牧歌的で平穏と感じていた物語がいつの間にかゾワゾワと落ち着かない不穏な物語に変化していく。最後には、恐ろしささえ感じられるようになる。
「森の兄妹」にも同じ雰囲気がある。母子家庭で貧しい家庭の子どもと思われるモリオとモリコの兄妹。モリオは妹思いで優しい子どもだ。貧しいからなのか、彼の性格的なものからなのか、学校ではからかいの対象になっている。ドッジボールで集中攻撃を受ける場面は、今の時代ならイジメとなるかもしれない。
ある日、兄妹は偶然ある家の敷地に入り込む。庭にはびわの木があって、兄妹は黙ってびわを盗み食べる。するとどこからか「ぼくちゃん」とモリオに話しかける声が聞こえる。声の主は近くの小屋の窓からのぞくおばあさんだった。
やがて、モリオはその家にこっそり通うようになる。小屋の窓から顔をのぞかせるおばあさんと会話とも言えぬ話をして、お菓子をもらう。家ではちょっとした事件が起きる。友だちからやっと貸してもらえたマンガを汚さないように(汚すともう二度と貸してもらえなくなるから)、拾った軍手をはめて読んでいるところをお母さんに見つかってしまい、きつく叱られてしまう。
近所の見知らぬおばあさんとの交流やちょっとした家庭内でのイザコザは、どこにでもある風景で、これも至って平和的な風景だ。なのに、この短編からはどこかしら不穏な印象が立ち上ってきて、読んでいて疑心暗鬼にさせられる。すごく短い物語のラストには、その疑心暗鬼がより深まる場面が待ち受けている。このラストシーン、モリオの視点でみればラッキーでハッピーな結末になるのだろう。しかし、大人である私が読むと背筋になにか冷たいものが走るような不穏さと不安を感じさせる。
デビュー作「こちらあみ子」以降の沈黙を破って、本書で復活を果たした今村夏子は、その後も精力的に新作を発表している。2017年3月に刊行された「小説トリッパー2017春号」には、長編「星の子」が掲載され、4月に刊行される「たべるのがおそいvol.3」にも新作が掲載される予定とのこと。ますます注目、ますます期待の作家である。
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