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【書評】カリル・フェレル/加藤かおり・川口明百美訳「マプチェの女」(早川書房)-友を殺され、愛する人を失ったとき、マプチェの女は復讐の鬼と化す

マプチェの女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

マプチェの女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 
マプチェの女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

マプチェの女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

海外小説を多く読むようになって感じるのは、自分がいかに世界の情勢に疎いかということだったりする。例えば、先日読んだチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」でナイジェリアの過去を知ったし、ノヴァイオレット・ブラワヨ「あたらしい名前」を読んでジンバブエに暮らす人々の苦しみや移民としてアメリカで生きる厳しさを知った。

s-taka130922.hatenablog.com

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カリル・フェレル「マプチェの女」は、アルゼンチンを舞台にしたサスペンス小説だ。この作品では、1970年代後半から1980年代前半、ちょうどアルゼンチンでサッカーワールドカップが開催された前後のおよそ10年間に起きた軍事政権下での悲劇の歴史を知ることができる。

 

タイトルにある“マプチェ”とは、アルゼンチン南部に住む先住民族のこと。主人公ジュナ・ウェンチェンは、マプチェ族出身の女性である。ジュナは、美術の勉強をするために首都ブエノスアイレスに上京した。学費と生活費のために身体を売って生きてきた。ある日、親友のパウラに呼び出された彼女は、パウラの友人であるルスが行方不明になっているから一緒に探してほしいと頼まれる。パウラとルスはともに女装趣味の男で、本名はミゲル・ミッチェリーニ、オルランド・ラバジェといった。ジュナとパウラの捜索もむなしく、ルスは惨殺死体として発見されることになる。

一方の主人公は私立探偵のルベン・カルデロンだ。ルベンは、軍事政権下での『国家再編成プロセス』と呼ばれた激しい人民弾圧により妹エルサとともに強制収容され、拷問によって父ダニエルと妹エルサを失った過去を持つ。現在は、母エレナが参加する〈祖母たちの会〉をサポートしつつ、自らは行方不明者捜索専門の私立探偵を生業としている。ルベンは、友人カルロスから失踪したマリア・ビクトリア・カンパージョという女性の捜索依頼を受ける。マリアの父エドゥアルドは、軍事独裁政権時代に財を成した人物であった。ルベンは、マリアのアパートを捜索する中で彼女が妊娠していた事実をつかむ。だが、ルベンの捜索もむなしくマリアは遺体となって発見されることになる。

当初、無関係に見えるふたつの失踪・惨殺事件は、すぐにひとつの問題に集約される。それは、マリアの出生の秘密と、パウラことミゲルとの関係にあった。ふたりの関係と過去の『国家再編成プロセス』によって拉致・粛清された人たちとのつながり、過去の弾圧の中である企みを企てた人物とそこに加担した人物、さらにマリアの両親との関係。過去のさまざまな出来事と悪人たちの保身や思惑の中で事件は激しさを増し、ジュナとルベンは次第に深みへとはまり込んでいく。

中盤から後半にかけての展開が目まぐるしく、そしてアグレッシブだ。激しい銃撃戦、格闘戦の中で次々と人が死に、負傷する。

圧巻なのは、「第3部クラン-恐るべき女」で復讐の悪魔と化したジュナの姿だ。親友パウラが目の前で激しい拷問を受けて殺害され、彼女を救うために敵陣へ乗り込んできたルベンも敵の手に落ちた。親友と愛する人を失ったと知ったジュナは、マプチェの血を滾らせ復讐のために立ち上がる。それはまさに“鬼神”である。武装して単身敵の潜伏先へ乗り込んだジュナは、奇襲戦を仕掛け次々と相手を血祭りにあげていく。そこにはもはや女性としての姿はなくなっていた。

激しいアクションの場面が目立つ作品ではあるが、根底には多民族国家における少数マイノリティの迫害と、不安定な政治情勢によって犠牲となる罪のない人民たちの悲劇の歴史がある。こういう環境基盤、国家観の根差す部分というのは、日本人である私には一概に理解できない部分でもある。それでも、そうした歴史が物語を生む下地となり、本作に限らず様々な作品において活かされている面があるのだろうというのはよくわかる。

エンターテインメント小説を読む上で、細かい歴史的知識が必要であるわけではない。本作にしても、アルゼンチンの歴史的背景を知らずともサスペンスあるいはバイオレンス小説として十分に楽しめる。作品を読んでいく中で、作中に描かれる様々な歴史観や国家観に関心を持ち、読み終わったときに物語の満足感とともに、少しでも舞台となっているアルゼンチンの暗い過去の存在を知ることができていれば、それで十分だと思うのである。

補足:著者のカリル・フェレルはフランスの作家であり、本作はフランスで出版された作品である。