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【書評】佐野洋子「私の息子はサルだった」(新潮社)-嗚呼、今も昔も男の子とはバカでありサルであることよ(笑)

私の息子はサルだった

私の息子はサルだった

 

 

我が身を振り返ってみれば、子どもの頃は本当にアホであったと思うのだ。

思えばあの頃は、テレビゲームなんてものはあるはずもなく、「スマホ? なにそれ、美味しいの?」の世界。子どもは風の子と真冬でも半袖半ズボンで野山を駆け回り(当然のように風邪をひくのだが)、秘密と思っているのは本人たちばかりの秘密基地をエンヤコラと作り上げる。今から思えばいったい何が面白かったのだろうか?

 

佐野洋子「私の息子はサルだった」は、2010年に亡くなった洋子さん(このレビューではそう呼ばせていただく)の新たに発見された原稿をまとめた作品集である。エッセイのようでもあり、短編小説集のようでもある。

本書に描かれるのは、おバカ男子の生態だ。その「おバカ男子」の名はケン。モデルは洋子さんの息子の広瀬弦氏である。最初の物語「はなやかな過去」では、まだ保育園に通っていたケンは、物語の進行とともに少しずつ成長し、小学生となり、中学生となり、高校生になる。保育園では親もかえって心配になるほどモテモテの人気者だったケンは、小学1年生でタニバタさんを好きになり(幼い初恋)と同時に失恋を経験(タニバタさんが「モグラのキンタマ」と仲良く手を繋いで下校する場面を目撃)する。なのに、なぜか恋敵であるはずの「モグラのキンタマ」ことウワヤくんと仲良くなり、もうひとりタニバタさんが好きなよっちゃんと3人が、いつしか悪友トリオとして暗躍するようになる。

成長とともに、さまざまな楽しいことや寂しいこと、出会いや別れを経験して子どもは大きくなっていく。ケンも、ウワヤくんも、よっちゃんも、基本はおバカで思考回路はサル並みに単純なのだけれど、ときおり親がハッとするような大人びた表情を見せてくれる。洋子さんが、息子の成長を物語として記録したのは、彼の成長が楽しみでしかたなかったからなのだろう。

ただ、息子からしてみると、自分が母親の作品に登場されられることはかなり嫌だったようで、「あとがきのかわり」にもそう書いてある。

(略)でも僕はそれがずっと嫌だった。そこにいるのは僕じゃない。僕の思い出に少しの大袈裟と嘘を好き勝手に散りばめている。

見ず知らずの人から「他人のような気がしない」などと親しげに話しかけられるのも苦痛だったそうだ。思いあぐねて母親に「もう自分のことを書かないでくれ」と怒り、母は不服そうに息子の願いを受け入れた。しばらくは息子を作品に登場させることはなくなった。本書に掲載されている原稿は、その頃に書かれたのではないかと広瀬弦氏は記している。

それでも、こっそりと息子の物語を洋子さんは書き綴っていた。それもかなり本格的に。例によって大袈裟と嘘を散りばめて。息子は、やれやれと思いつつ、母の書き残した物語を読んでみた。繰り返し読んでみて、母が記した息子の物語は、母が見ていた息子の世界で、自分が見ていた世界とは違うのだと思い始める。

この話は佐野洋子が一方的に書いた僕の記録だ。彼女の目には、僕のあの頃がこう映っていたのだ。

私には、広瀬さんはとても幸せな方と思える。母親が作家であるだけでも羨ましいのに、その作家が自分を題材にして作品を書いているのだ。それってスゴイことだ。ただ、このあとがきで書いているように当事者からしてみれば迷惑な話なのかもしれないが。

さて、本書に描かれているケンのエピソードで、私が一番ウケた話をひとつ。タニバタさんを巡る3人の恋模様が、よくわからないままにひとつの結論に達したときの話。

それからしばらくたってケンはじゅうたんの上にゴロゴロころがりながら、
「ねーお母さん、ウワヤとタニバタの結婚式の時、僕うたう歌決めたの」
「えー、何?」
さだまさしの敗戦投手っていうと」

腹筋攣るほど笑った。