ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

【書評】大野裕之「チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦」(岩波書店)-「独裁者」という映画にこめられたチャップリンの想いが、様々な障壁を克服し、感動的なラストシーンへと結実した

兵士たちよ!
けだものに身をゆだねてはならない!
あなたちを軽蔑し、奴隷にし、生き方を統制し、何をして、何を考えて、どう感じるかまで指図する奴らに。
彼らはあなたたちを猛訓練させ、食事まで規制し、家畜のように扱って、大砲の餌食にする!
そんな血の通っていない奴らに身をゆだねてはならない。
機械の頭と機械の心を持った機械人間に。
みんなは機械じゃない、みんなは家畜じゃない、みんなは人間なんだ!
心に人間の愛を持っているんだ。憎んではならない。
ただ愛されない者だけが憎むのだ。
愛されない者と血の通わぬ者だけが。
兵士たちよ!
隷属のためにではなく、自由のために闘おう!

これは、1940年に公開された喜劇王チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」の有名な演説の一部である。

 

大野裕之チャップリンヒトラー」は、同じ時代を生きたふたりの人物、喜劇王として人々に愛されたチャーリー・チャップリンと、独裁者として人々から憎まれたアドルフ・ヒトラーに、チャップリンの傑作「独裁者」を介してアプローチするノンフィクションである。

1989年4月16日に生まれたチャップリンと1989年4月20日に生まれたアドルフ・ヒトラー。わずか4日違いで同い年のふたりのその後の人生は、まったく違う方向へと進んでいく。やがて、チャップリン喜劇王として不動の地位を確立し、ヒトラーは独裁者としてドイツという国家を悲惨な戦争へと駆り立てていく。チャップリンは、ヒトラーの独裁政治に反旗を翻し、反独裁、反ナチズムの思想を鮮明にしていく。その結実が、「独裁者」という反戦映画であり、そのラスト5分間の力強い演説にこめられたチャップリン主義主張なのだ。

「独裁者」が制作された当時、アメリカは第二次大戦には参戦していなかった。ヒトラーが率いるナチス独裁制についても、その危険性には気づいておらず、むしろヒトラーファシズム思想を「共産主義の防波堤」として同調する人たちが多数存在していたという。

ヒトラーナチスの政策に共感するアメリカ国民から、チャップリンは「独裁者」の制作を中止するように警告される。脅迫めいた手紙を受け取ったり、ネガティブキャンペーンを展開されたりと、「独裁者」制作を妨害しようとする勢力はあらゆる手段でチャップリンを攻撃し、圧力をかける。そうした圧力にも負けることなく、チャップリンは映画の制作を続ける。もしかしたら、映画ができあがっても、どこでも上映されることもなくお蔵入りしてしまうかもしれない。だが、チャップリンは「独裁者」を撮り続けなければならなかった。それが、彼の矜持だったのだろう。

結果として、公開直前にドイツのポーランド侵攻やパリ入城、ユダヤ人迫害の実態などが世界に知れ渡ったことで、「独裁者」は反ナチズム映画の急先鋒として広く受け入れられ、興行的にも成功を収めることとなる。

本書を読むにあたり、あらためて「独裁者」を観た。

www.hulu.jp

公開から80年近い年月を経ても、作品の持つパワーは衰えていない。ちょっと概要を確認だけのつもりだったのに、気がつけば最後の演説の場面まで、目を離すこともできずパソコンの画面に釘付けになっていた。もちろん、演説の場面はすばらしい。だが、途中途中の様々なシーケンスも考えこまれ、練りこまれた場面ばかりだ。ラジオから流れ「ハンガリー舞曲」のメロディーに合わせてヒゲを剃る場面は何度見ても声を出して笑ってしまう。


ハンガリー舞曲のヒゲ剃り

有名な演説の場面は、作品のラスト5分にわたる。チャップリン演じる独裁者と間違えられた床屋が、演説台にあがり、ゆっくりと話をはじめる。

申し訳ない。私は皇帝になりたくない。

チャップリンは、そう話し始める。人種という壁を越えて、助け合いたいと続ける。

彼の語る世界観は、現代でも通じる批判である。ヒトラーほどのあからさまな独裁ではなくとも、どこの世界にも独裁的な思想により国家や国民を動かそうとする人間がいる。現代社会では、そのような独裁的な思想に対して、対立し批判することができるために、独裁者の暴走を食い止められている。だが、それはかなり危うい状況でもあるのだ。

独裁者は、はじめから独裁者として生み出されたわけではない。独裁者は、選挙という民主主義的な手法によって国民から選ばれるのだ。独裁者は、独裁者としての顔を潜め、国民のために働くと騙り、国民の指示を得たのだ。だからこそ、誰かを“選ぶ”という行為には、大いなる責任が伴うのだ。

「独裁者」をまだ観たことがないという方は、ぜひ一度映画を見て欲しい。せめてこの有名な演説の場面だけでも映像で見て欲しい。そして、何かを感じて欲しい。


独裁者 床屋の演説(日本語)