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【書評】ジョイス・キャロル・オーツ「邪眼 うまくいかない愛をめぐる4つの中篇」(河出書房新社)-愛はすべてを見失わせ、そしてすべてが歪んでいく

サブタイトルにあるように、本書には4つの愛情物語が収められているが、そのすべてがあきらかに歪んでいる。

邪眼: うまくいかない愛をめぐる4つの中篇

邪眼: うまくいかない愛をめぐる4つの中篇

 

表題作でもある「邪眼」と、2編目に収録されている「すぐそばに いつでも いつまでも」は、いずれも彼氏を盲目的に愛する女性と、倒錯した性格の男が登場する。

「邪眼」のマリアナは、夫であるオースティンの支配を受け、ときに暴力的な言葉をぶつけられたり、理不尽な怒りをぶつけられたりする。それでも、彼女は、自分が不幸な時に支えてくれたオースティンに愛情を注ぐ。それは、客観的に見るときわめて歪んだ愛の形のように見える。

同じようなことが、「すぐそばに いつでも いつまでも」でも描かれる。こちらはティーンエイジャーの恋模様が描かれているのだが、リズベスが愛するデスモンドにはある重大な過去の秘密があって、それがリズベスに重くのしかかってくる。この物語では、リズベスがデスモンドの異常性に気づき、彼を遠ざけようとするのだが、そのことがデスモンドの異常性をさらに加速させ、いつしか彼は歪んだ愛情をリズベスに向けるようになっていく。

「処刑」が描き出すのは、親子、それも母親と一人息子の間に生まれる歪んだ愛情だ。
バートは、親の金で放蕩三昧を繰り返してきたバカ息子である。あるとき、自分のクレジットカード(といっても支払いは父親なのだが)が止められたことを知ったバートは、その歪んだ思考から両親を殺害することを計画する。計画は完璧なはずだったが、最後に手違いがあり、父親は殺害したが母のルイーザは重傷を負ったが一命を取り留めることになる。彼女が、意識を失う直前に混濁した中で「犯人は息子」と証言したことで、バートは殺人容疑で逮捕される。誰もがバートの犯行を疑わなったが、意識を取り戻した母親は一転して「犯人は息子ではない」と証言する。その証言は真実なのか、それとも息子への愛情からくる偽証なのか。結果として、バートは母の束縛から逃れることができなくなる。

最後の「平床トレーラー」は、男性との性的関係を嫌う女性が主人公。彼女は、過去の不幸な経験もあって男性との関係に恐怖を感じてしまう。プラトニックに恋人関係にあることは問題がないのだが、セックスが関わってくると臆病になり、嫌悪してしまう。彼女がそうなってしまったのには過去の経験などの影響があり、その秘密を彼女は恋人のNに語っていく。それこそが、ある意味で彼女の歪んだ異常性だと思うのだが、それがただ怖いだけでなく、彼女の寂しさのようなものが感じられて複雑な印象を受ける。

ジョイス・キャロル・オーツの作品は本書が初めてだったのだが、その不思議な読後感がクセになりそうな作家だと感じた。4つの作品に登場する人物たちは、男も女も誰も彼もが少なからぬ異常性を有している。その異常性が、ある場合は暴力的に働き、ある場合は粘着質の愛情に変化する。そのどれも、「そんなのありえないよ」と感じさせながら、でもどこかで「ありえるかも」というささやかな疑念を持たせる。そのせめぎあいが、物語を先に読ませていく要素になっているのだと思う。

それにしても、ジョイス・キャロツ・オーツは1938年生まれで今年(2016年)は78歳ということになる。まあ、おそらく自他共に認める高齢者であろうが、そんなオーツが本書を刊行した2013年以降に発表した作品は、本書の他に長編5作品、短編集2作品、アンソロジー1作品になると巻末の訳者あとがきにある。日本でも、高齢の作家が精力的に活動しているが、オーツも負けず劣らず精力的である。それだけの仕事をこなし、かつ本書のような高いレベルの作品を生み出し続ける作家。これからもっとオーツの作品を読んでみる必要がありそうだ。

とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 ---ジョイス・キャロル・オーツ傑作選

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