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【書評】トム・ロブ・スミス「偽りの楽園」(新潮文庫)ー本当に狂っているのは誰か?家族同士で抱える秘密とそこから生まれる疑心

ロンドンに暮らすダニエルのもとに、父・クリスから電話が突然かかってくる場面から、トム・ロブ・スミス「偽りの楽園」の物語は始まる。

偽りの楽園(上) (新潮文庫)

偽りの楽園(上) (新潮文庫)

 
偽りの楽園(下) (新潮文庫)

偽りの楽園(下) (新潮文庫)

 

「お前の母さんのことだ……具合がよくない」

 

クリスは、ダニエルにそう告げる。母・ティルデは精神を病んでしまったのだという。ダニエルは両親が住むスウェーデンに向かうことを約束する。

ところが、翌日スウェーデンに向かう飛行機のチェックイン直前になって、再びクリスから電話がかかってくる。ティルデが病院から勝手に退院して、行方不明になってしまったというのだ。そして、クリスとの電話を切った直後、今度はティルデから電話がかかってくる。彼女は、クリスの言うことはすべて嘘だと言う。そして、これからロンドンに向かうと告げる。

物語は、母・ティルデの告白をメインにして進んでいく。彼女が、夫のクリスとともにスウェーデンの農場に移住して暮らし始めて以降、彼女の周囲で起きる不可解な出来事。何を企んでいるかわからない地元の有力者ホーカンには、ミアという養女があるが、ホーカンとミアの関係もティルデにとっては不可解だ。ティルデはミアに近づき話をするようになるが、そのミアがある日突然姿を消してしまう。ティルデは、ミアは殺されたのではないかと疑念をもつ。独自に探るうちにそれは確信に変わり、同時にクリスをはじめ周囲の人間がすべてを承知し、ティルデを排除しようと目論んでいるのはないかと感じ始める。

まず最初に、クリスからティルデが精神を病んでしまったと聞かされていることで、ダニエルはティルデの告白を信じたいと思いつつも、どこか信じ切れないでいる。その構成があるから、読者も終始一貫ティルデの告白を疑惑の目で見てしまう。本当にティルデが疑うような事件が起きたのだろうか。その疑念をずっと抱えたまま読み進めていくことになり、それゆえに先の展開が気になって、ページをめくる手が止まらなくなってしまう。

母の告白を聞いたダニエルは、彼女の信じたいという気持ちを確認するために、彼女の告白の信ぴょう性を自らの目で確かめにスウェーデンに飛ぶ。そこでダニエルは、ティルデの過去と、彼女が告白した事件をつなぐ驚くべき、そして悲しい真実を知ることになるのである。

「偽りの楽園」のラストに示される真相は、母親のつらい過去をあぶり出す。それは、ダニエルにとっても読者にとっても、後味の悪い事実になっているように思える。

本書は、ミステリーとしての体裁をもっているが、骨格としてのテーマは家族間で抱える疑心である。

ティルデが暗い過去を抱えているのに対して、ダニエル自身も両親に隠してきた事実がある。彼はゲイなのだ。恋人であるマークと同棲していて、自らのゲイであるという事実とマークという恋人の存在を両親に告げなければと悩み続けている。

「家族同士なら何事も包み隠さず話し合い、わかりあえるはず」というわけではない。家族だからこそ、話すことができない、隠し通さねばならないことがある。そのことが、家族間での疑心につながり、互いを無条件で信じることができない状況を生み出す。

ダニエルが、父クリスの話も母ティルデの話も、どちらも完全に信用することができず、かといって自分も両親に伝えられていない秘密を抱えていることで、悶々とする苦悩に共感できると、本書はまた違った印象を読者に与えてくれるように思う。