東日本大震災から5年目の3.11に向け、震災関連本のレビューを通じて振り返る企画の4日目です。
今回は、阪神淡路大震災と東日本大震災というふたつの大きな災害について記したノンフィクションを紹介します。
東日本大震災という未曾有の大規模災害について考えるとき、頭に浮かぶのが1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災のことです。
神戸を中心に関西圏で甚大な被害をだした阪神淡路大震災では、死者およそ6,500人、負傷者およそ44,000人の犠牲者が出ました。横倒しになった高速道路の高架橋や倒壊したビル、発生した火災によって街中が炎に包まれる様子など、都市型災害の恐ろしさを私たちに植えつけた災害です。
本書の著者である西岡研介氏と松本創氏は、どちらも元神戸新聞記者であり、阪神大震災を体験し、取材したジャーナリストです。
阪神淡路大震災の取材を経験したふたりのジャーナリストが、東日本大震災の取材を通じて目撃し、体験した被災地の状況、被災者たちの姿が本書には記されています。
彼らが取材した被災者たちは、あの恐怖の体験と愛する家族を失うという悲しみを受けて、失意の底にいました。
西岡氏たちには、阪神で被災者に対峙した経験があります。だから、東日本大震災の被災者たちの気持ちが痛いほどによくわかっていました。
しかし、彼らが想像している以上に東日本の地震の傷は大きかったのです。
ある若夫婦は、生後8カ月の息子を祖父母とともに津波で流されました。祖父母の遺体は見つかりましたが、息子はいまだ行方不明のままでした。
津波で住人の大多数が犠牲になった陸前高田市では、長年連れ添った妻を亡くした巨体の中年男に取材しています。愛すべきキャラクターで周囲の人々からカンコちゃんと呼ばれるその男性は、その後、地元陸前高田を蘇らせるために、市議会議員に立候補してトップ当選を果たしたそうです。阪神淡路大震災の慰霊式に参列するために神戸を訪れたカンコちゃんが差し出した、陸前高田の復興を願って作られた写真集に記された一編の詩がズシッと心に響きます。
西岡氏、松本氏は、阪神淡路大震災の惨状を取材したジャーナリストとして、記憶と経験をベースに同じ被災経験者として、東日本大震災の被災者を取材することができたはずです。しかし、ふたりは当初、東北の被災地を取材することためらいました。それは、自分たちが神戸で震災取材をしたにも関わらず、震災の記憶が覚めないうちに神戸新聞を退職してフリージャーナリストになってしまったこと、フリーになって以後、無意識に、ときには意識的に被災地であった神戸から遠ざかってしまったことに対する後ろめたさがあったからです。
しかし、ジャーナリストである彼らは、やはりプロとして現実に起きていることをその目で確認し、伝える必要がありました。ふたりは、共同で東北の被災各地を回り、被災者から直接話を聞く取材を進めていくのです。
本書は、東日本大震災と阪神大震災を比較することが目的ではありません。ですが、読み進めていくと、どこかで共通点を探り、過去の経験や教訓からより確かな復興の姿を描こうという想いが感じられます。
「噂の真相」など、社会派のジャーナリストとして活動してしたふたりの視点は、現場の自治体職員や赤十字、ボランティアの人たち、さらには被災者が苦労を強いられながら懸命に活動していく反面、政府、霞が関の役人、自治体の首長といったトップマネジメントにあたる人たちが、くだらない見栄や欲によって翻弄され、被災者を顧みれなくなってしまっている状況も赤裸々にあぶり出していきます。
阪神淡路大震災と東日本大震災。このふたつの大きな災害は、私たちに何をもたらしたのでしょうか。私たちは、何を学んだのでしょうか。
阪神淡路大震災からは21年、東日本大震災からは5年が過ぎました。直接の被災者ではない私たちにとって、このふたつの災害に対する記憶と意識は薄れつつあります。
「災害は、忘れた頃にやってくる」
日々の生活の中では忘れてしまっていても、節目のときには思い出し、またいつか起きるであろう災害への備えについて考える。そういう気持ちが大切なのではないでしょうか。