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ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

【震災5周年祈念】『情報を伝える』というメディアの使命を果たすこと-河北新報社「河北新報のいちばん長い日~震災下の地元紙」(文藝春秋)

書評 東日本大震災

震災関連の本を通じて、あの大震災を振り返ってみようという連続レビュー企画の第2回になります。

今回は、大震災直後に被災者へ情報を届けるために奮闘した地方新聞社の活動を通じて、災害時の情報伝達に関わるメディアの必要性を考えてみたいと思います。

 

 

■震災報道におけるメディアの必要性

マグニチュード9.0、最大震度7、そして高さ数十メートルにも及ぼうかという巨大な津波。あの日以降、メディアは連日のように大震災の様子を報道し続けました。

こうしたメディアによって伝えられる情報は、私たちにとっては被災地の様子を知るための重要な手段でした。被災地はいまどうなっているのか。被災者たちの生活はどうなっているのか。食料やガソリンなどの生活必需品の供給状況はどうなっているのか。そうした情報はすべてテレビ、ラジオ、新聞、インターネットなどのメディアを通じて入手しました。

私は、千葉県に住んでいます。なので、震災に関する情報は容易に入手することができました。テレビを見ることも、新聞を読むことも、何も支障はなく、不都合もありませんでした。

ですが、これが被災地となる話が違います。未曾有の被害を受けた東北一帯では、当然ですがメディアも被災しています。なかでも、地域に密着した地方新聞社などは、新聞作成に関わる記者や編集者、新聞を配布する販売店といった関係者が軒並み被災し、なかには生死さえ判然としない人もいます。

しかし、地震津波で住む家を失い、命からがら避難所で身を寄せあって生きる被災者は、何よりも情報を求めています。いったい自分たちの身に何が起きたというのか。家族の生死はどうなっているのか。知りたいことは山のようにあっても、彼らにはそれを知るための手段がありませんでした。

■地方新聞社の使命
河北新報社は、宮城県を中心に東北6県で販売されている地方ブロック紙です。

本書「河北新報のいちばん長い日」は、自らも震災被災者となりながら地域新聞としての使命を果たすべく奮闘する関係者の記録です。

東日本大震災が発生するまで、河北新報は、創刊以来ずっと新聞休刊日以外に休んだことがないのを誇りとする歴史ある新聞でした。

その河北新報も3.11では被災者となります。

本社ビルは震度6強の強烈な揺れに襲われてライフラインが停止し、印刷所や販売所などの関連施設も壊滅的な被害を受けます。それでも河北新報は、新潟日報の全面的な協力を受けて震災当日の夜には号外を作成し、ライフラインの停止で情報が得られない被災者に届けるのです。

翌日の朝刊以降も、徐々に復旧していくライフラインや被害の少なかった会社設備をフル活用しながら新聞づくりを続けていきます。そして、販売所の人たちも河北新報を読者に届けるために奮闘します。新聞社の職員と販売所の従業員たちのこうした努力によって、新聞は作り続けられ、被災者のもとへ配達し続けられたのです。

自らも被災者でありながら、新聞づくりを継続し、読者へと届けようと奮闘するモチベーションはいったいどこから生まれたのでしょうか。

河北新報は、全国紙に比べてネットワークもリソースも十分とはいえない地方紙です。しかも、大震災被害の中心である東北にあって、会社設備も少なからず被害は受けています。普通に考えれば、職員の安否が確認され、社会インフラや会社設備がある程度復旧するまで、新聞の発行は停止せざるを得ないはずです。

しかし、彼らは限られたリソースの中で創刊以来の誇りを失わず新聞の発行を続けました。そこには、被災地を拠点とする新聞記者としてこの大災害を自らの言葉で伝えようというプライドと、情報を渇望する被災者たちの期待に応えたいという責任感があったに違いありません。メディアとしてのプライドと責任感が、様々な課題に直面しながらも継続的に新聞を製作し届けるモチベーションにつながったのだと思うのです。

■知ることの苦しみと伝えることの大切さ
ただ、彼らは闇雲に突き進んでいただけではありません。

彼らが取材する相手は被災者です。家族を失った人、行方不明となっている人を相手に取材を進めなければならないつらさに、記者たちは悩みます。記者として、相手のテリトリーに踏み込まざるを得ない事実に苦しみます。。

記者たちが胸に抱えた悩みや苦しみは、河北新報だけが直面した問題ではないはずです。被災地を取材したジャーナリストたちは、誰もが同じように苦しんだのではないでしょうか。彼らの中には、東日本大震災の取材によって心を打ち砕かれ、ジャーナリズムの世界から去っていった人もいるでしょう。

私たちは、ジャーナリストという存在をどこか胡散臭い存在のように見てしまうことがあります。事件の被害者のプライベートに土足で踏み込むような強引な取材をするとか、過去を暴き立てて面白おかしく報道するとか、非人間的な存在であるかのように見てしまうことがあります。

本書を読んで、彼らが決して厚顔無恥でデリカシーのない強引な取材で突き進むようわけではないことを知ることができました。彼らが、本書のような形で自らの行動を振り返り、疑問を明らかにすることは、今後の適正な報道機関としての在り方に一石を投じる役割を果たすのではないでしょうか。

すべてを知りたいという欲求は果てがありません。しかし、知ることには大きな苦しみが伴います。世の中には知らなくてもよかったことがたくさんあります。それでもメディアは、できるだけ多くの情報を集め、私たちの知りたい欲求にこたえようとします。それが彼らの使命だからです。私たち情報の受け手側の人間は、彼らの努力をしっかりと受け止めたうえで、情報の内容を自らの頭で判断し、理解する必要があります。

正しい情報、必要な情報とは、伝える側と受け取る側の相互の努力と理解によって生み出されるのだなと、本書を読み終えて感じました。