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【震災5周年祈念】あの日、あの地震を経験した記憶を忘れないために-彩瀬まる「暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出」(新潮社)

2011年3月11日14時46分に、後に《東日本大震災》と呼ばれる巨大地震が発生しました。

もうすぐ、あの日から5年になります。そこで、今週は3月11日(金)までの5日間、東日本大震災について書かれた本についてレビューしながら、あの日を振り返りたいと思います。

暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出

暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出

 
暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―

暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―

 

 

 

■あの日、あなたはどこで、あの地震を経験しましたか?
2011年3月11日14時46分の地震発生時、私は東京都内にある職場にいました。

当時、私の職場は28階建てビルの21階にありました。覚えていますでしょうか。あの地震では、長周期地震動という大きくてゆっくり長く続く揺れが発生したため、首都圏の高層ビルでは上層階で、まるで波にただよう船のようにユラリユラリとした揺れに見舞われて、「もしかすると、このビル倒れるんじゃないか?」という恐怖を感じたものです。

地震発生後には、北海道、東北、関東の太平洋沿岸に巨大な津波が押し寄せます。特に、岩手、宮城、福島の沿岸には、高さ数十メートルにも及ぶ巨大な津波が押し寄せ、沿岸市町村は壊滅しています。

宮城県石巻市津波動画(視聴により強いストレスなどを生じる場合がありますので注意して視聴してください)


石巻市湊地区に押し寄せる津波 【視聴者提供映像】

これは、宮城県石巻市で撮影された津波の映像です。

建物や自動車をまるで模型のように簡単に押し流していく津波は、同時に多くの人々の命も奪い去っていきます。他にも、空港でヘリコプターや軽飛行機が流されていく様子や南三陸町での防災無線による懸命の避難指示放送の映像などを記憶されている方も多いでしょう。

※参考:東日本大震災犠牲者数(2016年2月10日警察庁発表)
 死者15,894人、行方不明2562人


■著者はあの日、JR常磐線の新地駅付近で被災した
多くの人が、それぞれの場所であの地震に遭遇しました。

作家の彩瀬まるさんも、あの地震に遭遇した被災者です。彼女は、当時東北地方をひとり旅で回っている途中で、あの日はJR常磐線を利用して仙台からいわきに向かっていました。

地震が発生したのは、列車が新地駅に差し掛かったときです。緊急停止した列車の中で、まだ繋がっていた携帯電話と乗り合わせた乗客のワンセグから、どうやら尋常でない規模の地震が発生したのだと彩瀬さんは知ります。他の乗客とどうにか避難したところへ押し寄せる巨大津波。まさに、彩瀬さんたちはギリギリのところで助かったのです。

津波に襲われたJR常磐線新地駅の映像があります。津波は、駅舎、ホーム、線路を完全に破壊し、後に残されたのは線路をまたぐ跨線橋だけという惨状が津波の強さと恐怖を感じさせます。駅に停車していた列車車両は、津波に押し流されて単なる鉄屑と化して横たわっています。彩瀬さんたち乗客は、その押し流された列車に乗っていたのです。


3.11大震災被災地撮影 新地町JR常磐線新地駅

旅先で知り合いもない中で一緒に被災した地元の方や避難所で知り合ったご家族にお世話になって、彩瀬さんは数日を被災地で過ごすことになります。福島ではその後原発事故が発生し、20キロ圏の避難指示などさらに混乱を極めていく中で、彩瀬さんは復旧した新幹線を乗って家族のもとに帰りつきます。

■福島でのボランティア、そして再会
地震から数カ月後、彩瀬さんはボランティア活動のために再び福島を訪れます。本書の第2章に描かれるのは、そのときの話です。

福島が、他の東北2県(岩手、宮城)と違うのは、福島では原発事故が起きたことです。福島第一原発は、地震津波で機能を喪失し、メルトダウンと呼ばれる事故を起こします(ただし、当時はメルトダウンしたとはされていませんでした。その事実が明らかにされたのは最近のことです)。原発事故で拡散された放射性物質は、双葉郡から南相馬までの広い地域を汚染し、多くの住民が避難生活を送ることになります。震災から5年経った今でも、およそ10万人が避難したままです。

彩瀬さんがボランティア活動に参加した地域は、原発事故による立ち入り禁止区域には該当しない場所です。それでも、頭では放射線量が低いと理解しているのに、どうしても不信感を拭いきれない。そんな自分の心が、彩瀬さんを苦しめます。ボランティア活動の御礼にと農家の方から差し出された玉ねぎをすぐに受け取ることができず。ほんの少しでも疑いを感じてしまった自分に悩んでしまうのです。

あの頃、福島に対しては様々なことが言われていました。福島原発事故チェルノブイリ原発事故と並べて、あの場所はもう人の住める場所ではなくなったという専門家もいました。福島から来た、というだけでいじめを受けたということもありましたし、いわきナンバーの自動車に傷をつけられたということも起きました。福島の農産物が汚染されているとして敬遠されるようになり、その風評被害は5年経った今でもまだ完全に払拭されたわけではありません。

なので、彩瀬さんが差し出された玉ねぎを前に逡巡してしまった気持ちはよくわかります。だから、その場では玉ねぎを受け取ったものの結局は自分で食べることができずに、半ば押し付けるようにいわきの友人に渡したという彩瀬さんの反応を非難する人は誰もいないでしょう。なぜなら、他の人もきっと同じような反応をしていたでしょうから。

さらに数カ月後、彩瀬さんは、あの日お世話になった家族と再会するために相馬を訪れます。

相馬の人たちは、原発事故の避難準備区域の指定が解除され、徐々に生活を取り戻しつつあり、明るさも取り戻してきていましたが、復興の道はまだこれからという厳しい状況です。彩瀬さんと同行した編集者は、津波被害の爪痕を確認し、改めて驚愕します。その他、地元の人が語る原発避難民と震災避難民との待遇格差のこと。福島県人と知られただけで汚物扱いされると諦観気味に語られるエピソードに憤りながらも、ボランティアのときに農家の方から玉ねぎをもらったときの自分を思い出します。

■あの日からのことを忘れないために読むべき本
この本は、2011年3月11日14時46分に始まり、2016年3月11日を迎えようとしている今に至るまでの出来事を忘れないために読んでおくべき本だと思います。

彩瀬さんのような体験をした方が、どのくらいいるのかはわかりません。きっと、何万、何十万、何百万という方が、あの日の地震、あの日の津波、あの日の原発事故を経験し、あの日から始まる日々を生きているのでしょう。そんな経験者のひとりとして、そして作家として、彩瀬さんが自らの体験を書き残すことは貴重なことだと思うのです。

本書を執筆し発表することについては、もしかすると相当に悩まれたのだろう思います。

しかし、あのとき、あの場所で、いったい何が起きていたのか。そして、そこに住む人たち、偶然居合わせた人たちは何を思い、どんな行動をとったのか。何が不安だったのか。何が不満だったのか。今、何を考えているのか。そういう記憶の積み重ねと記録が貴重な財産になるという意味で本書は重要な作品なのだと思います。

暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出

暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出

 
暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―

暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―