タカラ~ムの本棚

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イアン・マキューアン「未成年」(新潮社)-信仰という危うさを抱えた少年と家庭という危うさを抱えた女性裁判官の危うく静かな関係

世の中には、様々な宗教があり、それぞれに強い信仰心を有する信者がある。ときに、それは過激な方向に進み、悲劇を生み出すことがある。一方で、信仰がその人の心を平穏をもたらすこともある。

未成年 (新潮クレスト・ブックス)

未成年 (新潮クレスト・ブックス)

 

イアン・マキューアン「未成年」は、信仰と法律、そして少年の淡い恋を描く長編小説だ。マキューアンらしい、静かで落ち着いた人間ドラマが描かれている。

夫との関係に危うさを抱えた女性裁判官・フィオーナが担当することになったのは、白血病の治療が必要な少年に対して、病院が輸血を行うことの許可を判断する案件だった。少年の家族は、《エホバの証人》の信者であり、信仰上の理由から輸血を拒否していたのだ。信仰と人命を天秤にかけるような難しい判断を求められたフィオーナは、病院に少年・アダムを訪ね、面談する。そして、彼の命を救うことを選択した。

この物語は、信仰がもたらす理不尽な悲劇を描くものではないし、《エホバの証人》を批判する話でもない。本書に描かれているのは、家庭に問題を抱える中年の女性裁判官と、彼女に出会って生きることを与えられた少年の淡い恋心だ。

フィオーナは、夫が若い女性との関係を認めて欲しいという夫婦としての裏切りともいえる要求をしてきたことで、夫への愛情が薄れていることを知り、互いとの関係が崩れていることを知る。そんな、家庭の問題を抱えるフィオーナが、家庭問題の審判を担当する家事部に所属する裁判官であるという設定がマキューアンらしいシニカルさである。

一方、信仰から輸血を拒む少年・アダムは、まだ18歳に満たない未成年である。未成年であるが、考えはしっかりしていて、輸血治療を受けないことが自分の命を失わせる結果となることは十分に理解している。だが、それでも少年には、まだ未成年であるがゆえの危うさがあることも確かだ。

病院で面会したフィオーナとアダムは、彼が作る詩について話し、ぎこちなく演奏するバイオリンに合わせて歌を唄う。フィオーナは、審判する者として、そして少年よりもはるかに長く人生を生きてきた大人として、少年と対峙し、彼の人生の将来を決める審判を下す。そして、アダムはフィオーナと出会ったことで、彼女に恋心を抱くようになる。

アダムのフィオーナに対する恋情は、恋愛感情というよりは大人の女性への憧れであろう。でも、まだ経験の浅い少年にとって、大人の女性に対する憧れは恋愛と同義であり、若いがゆえの無謀さも手伝ってフィオーナを困惑させる。彼女は、少年を拒絶する。それが、大人の女性としての、彼女の判断だった。

本書の最終章には、ひとつの悲劇とひとつの救済がある。いずれも、人間としての尊厳に根ざした結末として、選びぬかれたラストなのだと思える。結局のところ、人間は誰かに人生を裁かれたり、判断されたりするのではない。いつだって、本当の結論は自らによって判断しなければならない。

私たち読者は、マキューアンが示したフィオーナの、そしてアダムの人生の結論をどう考えるべきかを、自らの人生と重ね合わせて問うてみるべきなのかもしれない。