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ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

すばらしい書き手は、最高の読み巧者でもあるのだということ-松田青子「読めよ、さらば憂いなし」

書評

新聞や雑誌、ネット上に掲載されている書評を本を選ぶときの参考にしている。好きな作家さんがオススメする本とか、信頼する書評家が書評している本、最近だと書評サイトや書評ブログを読んで、レビュアーさんやブロガーさんのオススメ本を読んでみたくなったりもする。そういう意味では、拙ブログのレビュー記事も、どこかで誰かの選書に役に立っていることを願わずにはいられない。

読めよ、さらば憂いなし

読めよ、さらば憂いなし

 

松田青子「読めよ、さらば憂いなし」は、著者が雑誌などのメディアに掲載した書評や本にまつわるエッセイを集めた書評集である。

国内外の小説を中心に、エッセイ、マンガ、ノンフィクションなどについて書かれた書評、エッセイを読んでいくと、松田青子の読み巧者ぶりが感じられる。同じ作品を読んでいても、素人である私とプロの作家である松田青子とでは、作品を読んだときの感受性がこんなに違うのか、と感心する。

例えば、ジョー・ブレイナード「ぼくは覚えている」について、巻末に収録されている翻訳家・柴田元幸氏との対談の中でこう語っている。

松田「そうですね。『ぼくは覚えている』、この小説は私、発明だと思っているんです。「I remember」という書き出しなら誰でも書くことができるし、実際に、作文の授業などでも使われているらしいですね。そうやって個人的な記憶、あるいは「マリリン・モンローが死んだ」というような同時代を生きた人なら全員経験した記憶を書き連ねたこの小説を読むと、一人の人間がいかに素晴らしいデータベースかということを思い知らされます。日記とも違うんですよ。日記には何月何日という時間の制約があるけど、この本は思いつくまま。でも読んでいると、こことこと、一緒に思いついたんじゃないかなっていうのがなんとなく見えてきたり。  (「対談 柴田元幸・松田青子 ヘンな本の話をしましょう。」より抜粋)

私も、「ぼくは覚えている」を2013年に読んだ(長文レビューは未アップ)。その際は、「ぼくは覚えている」ではじまる短い散文のような文章で構成されている、小説のような詩篇のような風変わりな作品世界にばかり目が行っていて、作品の本質まで考えるに至らなかった。同じ作品について、松田青子は小説の技法的な面白さだけではなく、人間の記憶の奥深さを感じ取っている。その視点は、私にはなかっただけに、「あぁ、なるほど。そういう見方があるんだな」と単純に感心した。

本書には、松田青子の感性が溢れている。「スタッキング可能」や「英子の森」などの小説やカレン・ラッセル作品の翻訳などで、松田青子という作家を好きになった読者は、彼女の読み手としての感性を本書から感じてみてはどうだろうか。

ぼくは覚えている (エクス・リブリス)

ぼくは覚えている (エクス・リブリス)

 
スタッキング可能

スタッキング可能

 
スタッキング可能

スタッキング可能

 
英子の森

英子の森

 
英子の森

英子の森

 
狼少女たちの聖ルーシー寮

狼少女たちの聖ルーシー寮

 
レモン畑の吸血鬼

レモン畑の吸血鬼