タカラ~ムの本棚

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好きな本の解説だから、依頼がこなくても勝手に書いてしまえ!という発想-北上次郎「勝手に文庫解説」

文庫本を読むとき、本体よりも先に「文庫解説」から読むという人が少なからずいる。

私も、必ずではないけれど、文庫本を読むときに、最初に巻末の「文庫解説」を読むことがある。また、解説は後で読む場合でも、作品を途中まで読んできて、内容の理解が怪しい時に解説に目を通して、作品を読み解くヒントを得ることもある。

勝手に! 文庫解説 (集英社文庫)

勝手に! 文庫解説 (集英社文庫)

 

「文庫解説」は、著者あるいは編集者といったその本に直接関わる人ではなく、客観的な第三者が書いている。別の作家が書いているケースもあるが、役割を多く担っているのは“書評家”というプロの読み手の方々が多い。本書の著者北上次郎氏も、プロ書評家であり、業界のパイオニア的存在である。

本書は、北上氏が知り合いの編集者や評論家たちと定期的に開いている飲み会の席での、他愛ない発言から始まった。

そもそも「文庫解説」は、出版社からの依頼があってはじめて書くことができる。なので、必ずしも自分が書きたい本の解説が書けるわけではない。単行本の段階で読んで感銘を受けた作品があって、「この本が文庫化されるときは、自分が解説を書きたい」と切望したとしても、実際に出版社から依頼されるかどうかはわからないのだ。

北上氏が、この「好きな本の解説を書きたいのに、依頼が来るとは限らない」という状況を飲み屋で編集者相手に話したところ、「だったら、勝手に書いちゃいえば?」と誰かが発言した。そこから話はスイスイと決まっていく。

本書の前書き「はじめに」に、そのときの様子が書かれているので、ちょっと長いが引用する。

で、いつもように彼らとそうして居酒屋で飲んでいたとき、文庫解説の話になった。文庫解説というものは、書きたいと思っても注文がこないと書けない。依頼が来るかなあと思って待っていても、残念ながら来ないことも少なくない。そんな話をしていたら「じゃあ、依頼される前に勝手に書いちゃえばいいじゃないですか?」と誰かがいった。勝手に書くってどういうこと? 「だから、どこかの雑誌に、ですよ」。

あ、なるほど、そういうことか。するとその席にいた早川書房の小塚麻衣子さんが「それ『ミステリマガジン』でやりましょう!」と言う。えっ、もう決定なの? 「じゃあタイトルはどうする?」。みなさんでどんどん決めていくのである。集英社の江口洋氏が「勝手に文庫解説!」と言うと「座布団一枚!」と声がかかった。

こうして、「ミステリマガジン」誌上で2012年1月号から、北上次郎氏が自分の好きな本について、勝手に文庫解説を書いちゃうというなんともフリーダムな連載が始まることになる。とりあげた作品は、国内小説12編、海外小説18編の計30編。書籍化にあたっては、国内小説に2編(沢木耕太郎「波の音が消えるまで」と野崎まど「know」)を書き下ろしを追加している。

さらに本書の巻末には、4人の書評家(北上次郎池上冬樹大森望杉江松恋)による座談会の模様が収録されている。4人とも、書評家として第一線で活躍するメンバーであり、文庫解説も数多く手がけている。彼らの文庫解説の仕事については、北上氏が「Web本の雑誌」に目黒考二名義で連載している「目黒考二の何もない日々」の中で、毎年1月に4人が前年にそれぞれどれだけの文庫解説を書いているかをリストアップしている。座談会メンバーがこの4人になったのも、それが理由だ。ちなみに、2015年1月の記事では、2014年のリストが掲載されている。

www.webdoku.jp

本書の中で北上氏も書いているが、「勝手に文庫解説」の目的は、別の人が書いた解説にケチをつけるとか、自分の方がもっと良い解説が書けるぞ、とアピールするものではない。ただ純粋に「書きたいから書く」だけなのである。とにかく、自分が気に入った作品に対していろいろと語りつくしたいのだ。

改めて、北上次郎という人は、根っからの本好きなのだなぁ、と思う。そして、読むだけでなく、読んだ作品について話したい、語りたい人なのだということがわかった。そういう意味では、プロの書評家ではあるけれど、私たちのような一般の本好きと同じレベル感で読書を楽しんでいる人なんだろうと思う。