タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

2015年ノーベル文学賞作家が綴るチェルノブイリ原発事故で人生を翻弄された無辜の人々の証言−スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り~未来の物語」

今年(2015年)のノーベル文学賞は、ベラルーシのドキュメンタリー作家・スベトラーナ・アレクシエービッチに決まった。ジャーナリストとしてのノーベル文学賞受賞も、ベラルーシ人としての受賞もはじめてのことである。

不勉強なもので、スベトラーナ・アレクシエービッチという作家の存在をこれまでまったく知らずにいた。今回、ノーベル文学賞の受賞によってその存在を知り、ミーハーな興味をもって彼女の著者を読んでみた次第だ。

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

 

本書は、1986年に旧ソ連(現在のウクライナ)にあるチェルノブイリ原子力発電所で起きた事故によって、人生を狂わされた人々の証言を集めたドキュメンタリーである。

プロローグとして、事故発生時に現場に派遣されて被曝し亡くなった消防士の妻の証言が掲載される。

「孤独な人間の声」と題されたプロローグに記される事実は、原発事故の重大性と、原子力に無策な政府の混迷ぶりを如実に表している。事故の重大性を隠蔽したままに、何の対策も講じることなく作業員を生身の身体で高線量の原発事故現場に送り込む。それは、死ぬことが明らかな戦場に若者を送り出すことであり、国家的な犯罪行為といっても過言ではない。

事故の犠牲者は、現地で作業にあたった作業員にとどまらない。高濃度の放射性物質が広範囲に拡散されたことで、原発周辺は“死の土地”と化した。住民たちは、先祖代々住み慣れた土地を追われ、仕事を奪われた。そしてなにより、被曝に対する知識を持たず、危険性に対する情報ももたらされることのなかった住民たちは、目に見えない放射線を大量に被曝し、長い年月を経て、その身体は蝕まれていくことになる。

本書がチェルノブイリ事故の悲劇を強く読者に訴えるのは、本書が事故関係者の証言のみで構成されているからだと思う。著者自身の考えも、自分自身へのインタビューとして客観的に記されている。

様々な形で事故を経験した人々の言葉は重い。その重い言葉の数々が、事故の衝撃とその後の悲劇の深さを読者に訴えかけてくる。

チェルノブイリ事故が起きた時、その事故の大きさと深刻さが世界中に衝撃と影響を与えた。しかし、我々日本人は連日報道される事故を遠い異国の地で起きた“対岸の火事”としてしか見ていなかった。誰もが、チェルノブイリから25年後の日本で、チェルノブイリに匹敵する重大レベルの原発事故が起きるなど考えもしなかった。

チェルノブイリ事故と福島原発事故を同列に見るのは間違っていると思う。事故発生後の対応など、チェルノブイリ事故に比べれば福島原発事故は被害を可能な限り最小限に留めるための対応がとられていたのだと思う。事故の深刻さからすれば、もっと甚大な被害が起きていた可能性はあったはずだ。

福島原発事故も、発生から4年半が経過した。だが、これまで事故に関する客観的な総括がされてきたとは思えない。本書は、福島原発事故の総括をする上で参考にすべき作品であると思う。スベトラーナ・アレクシエービッチに匹敵する気概のある日本のジャーナリストが、フクシマを客観的に総括する日が来るのだろうか。そう考えると、何やら重暗い気分になるのは、どうしたわけなのだろうか。