"♪We are the world,we are the children~"
USA for Africa - We are the World - YouTube
1980年代に中学生、高校生くらいの年代を過ごした方の多くは、洋楽にハマった世代ではないだろうか。FMラジオから流れるマイケル・ジャクソンやマドンナに熱狂し、「ベスト・ヒット・USA」の小林克也の軽妙なMCに導かれて、様々なアーティストを知る。80年代のミュージック・シーンは、個人的な印象ではあるが、洋楽で彩られていたように思う。
だが、90年代に入り、さらに21世紀に差し掛かると、私たちの周囲から洋楽は急速に姿を消していったように思う。確かに、レディー・ガガやテイラー・スウィフトなど、最近でも日本で人気の海外アーティストはいるが、80年代のような勢いは感じられなくなっている。
西寺郷太「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」は、70年代後半から80年代にかけて、盛り上がりを見せてきたアメリカン・ポップスが、80年代後半以降現在に至るまで縮小していく時代の流れを、1曲のチャリティーソングの存在をターニングポイントとして解説している。その運命の1曲が、本書のタイトルにもなっている「ウィー・アー・ザ・ワールド」である。
「ウィー・アー・ザ・ワールド」は、1985年にアフリカの飢餓に苦しむ人々を支援する目的で制作されたチャリティーソングである。作詞/作曲を担当したのは、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー。「USAフォーアフリカ」としてこのプロジェクトに参加したアーティストは45名に及び、その中には、シンディ・ローパー、ヒューイ・ルイス、ボブ・ディランといったトップスターが名を連ねていた。
なぜ、この曲がアメリカン・ポップスの終焉に向けた“呪い”となるのだろうか。著者は、本書の中で、音楽の歴史を振り返りながら、「ウィー・アー・ザ・ワールド」制作の謎を解き明かしていく。
当時、中学生だった私は正直なところ、アメリカン・ポップスにはあまり興味がなかった。もちろん、マイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」の軽快なメロディや、「スリラー」の完成度の高いミュージックビデオには魅了されたし、マドンナの妖艶さにも打ちのめされた。
ちなみに、私が当時ハマったのは、アメリカン・ポップスではなくてブリティッシュ・ロックの方であり、お気に入りのアーティストはジェネシスだった。アルバムの中では「トリック・オブ・ザ・テイル」が好きだったが、実はこのレビューを書くために情報をググるまで、アルバムタイトルを「ダンス・オン・ア・ヴォルケーノ」と勘違いしていて、目的のアルバム情報が見つからずにドキドキしたのは内緒である。
話を「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」に戻そう。
本書で著者は、「ウィー・アー・ザ・ワールド」に参加しソロ・パートを担当したアーティストのその後の活動から、この曲に関わったことで彼らがそれまでの勢いを失い、場合によっては活動休止や長期にわたって表舞台から姿を消していった状況を書き記していく。もちろんそれは、“呪い”などという非現実的な概念とは関係のない、単なる時代の流れやアーティストとしての限界であると考えるのが妥当だろう。
やや残念なのは、新書のボリュームの中という制約の問題なのか、著者の豊富な知識に裏打ちされた深い考察や洞察が、完全には描ききれていないと感じたところだ。著者には、マイケル・ジャクソンの生涯について深く評論した「新しいマイケル・ジャクソンの教科書」や、ワムの名曲「ラスト・クリスマス」が実はある日本人によって作られたものだとする謎に迫るノンフィクション風の小説「噂のメロディ・メーカー」など、著者の知識と人脈、取材力を存分に発揮した作品がある。本書も、もっと深く書き込めば、より説得力の高い評論として完成度が高まったのではないだろうか。
もし、著者が「本書は完全版とはいえない。もっと書きたいことがある」と考えているのだとしたら、是非とも、もっと深掘りした完全版を書いてほしいと思うのである。