タカラ~ムの本棚

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現場を見ずして論理的に推理を組み上げて真相にたどり着く。安楽椅子探偵の醍醐味-ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」

ミステリー小説における私立探偵像を確立したのが、コナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズであることは間違いないことだと思う。

シャーロック・ホームズは、依頼人に対していきなり本人以外にはわからないはずの事実を突きつける“かまし”のテクニックばかりが印象に残るが、その推理術は、相手をよく観察し、様々な証拠を自らが有する豊富な知識と照らし、さらに現場まで足を運んで調査し、関係者の話を訊いて回るなど、実は行動的である。ホームズ以降に登場した探偵のほとんどは、だいたい同系統のキャラクターとなっているように思う。

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

 

ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」の探偵役である英文学教授のニッキイ・ウェルトは、ホームズ的探偵像とはまったく異なり、相手からの話の些細なところから推理を発展させて結論に到達する。いわゆる“安楽椅子探偵”である。

現場に足を向けることも、関係者から証言を聞き出すことも、自ら動くことなく特定の証言者から聞く話からだけで、純粋に論理的な推論を積み重ねて結論を導き出す“安楽椅子探偵”ものの小説は、探偵役の思考プロセスを丁寧に積み重ねることで、読者がその推理の展開に納得し、物語としての面白さを見い出すタイプの小説だ。安楽椅子探偵の代表的キャラクターとなると、「隅の老人」シリーズに登場する“隅の老人”あたりが思い浮かぶ。ニッキイ・ウェルトもその系譜に連なる安楽椅子探偵だ。

本書には、表題作をはじめとしてニッキイ・ウェルトと語り部である《わたし》のコンビが事件に関わる8編の短編が収められている。中でも、表題作「九マイルは遠すぎる」は、インパクトが強い。

晩餐会のスピーチで失態を演じてしまったわたしは、友人である英文学教授・ニッキイ・ウェルトから朝食をともにした席で散々な嫌味を言われてしまう。話の中でニッキイは、「十語ないし十二語からなる文章を作ってくれれば、そこから思いもかけない論理的な推論を出してみせる」という。そこで、わたしは次の文章を作る。

「九マイルもの道を歩くのは容易なことじゃない。ましてや雨の中となると大変だ」

ニッキイ・ウェルトは、この文章から論理的な推理を展開し、ある事実を導き出す。それは、奇しくも現実に起きた殺人事件の状況を示していた。

作者のハリイ・ケメルマンは、自身が教鞭をとる上級英作文のクラスの課題から生まれたという。生徒たちに、上記に引用した「九マイルもの道……」の文章から推論を展開する課題を出した。この取り組みは、実際にはうまくいかなかったようだが、ケメルマン自身は深くはまりこみ、それが表題作「九マイルは遠すぎる」として形作られたのである。

ニッキイ・ウェルトシリーズの作品は、本書に収録された8編のみであり、第1作「九マイルは遠すぎる」から最終作「梯子の上の男」まで、実に20年もの歳月がかかっているらしい。寡作な作家であるが、それだけに各短編の完成度がどれも高いと思う。

ハリイ・ケメルマンの、ニッキイ・ウェルトシリーズ以外の作品としては、ユダヤ教のラビ(指導的立場にある者)であるデイヴィッド・スモールを主人公とする長編「金曜日ラビは寝坊した」と「土曜日ラビは空腹だった」などがある。これらラビシリーズ作品はまだ未読だが、「九マイルは遠すぎる」が面白かったので、いずれ読んでみようと思っている。

月曜日ラビは旅立った (1981年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

月曜日ラビは旅立った (1981年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 
隅の老人【完全版】

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