ガタガタ書評ブログ

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寡作な作家が生み出した国産ハードボイルドの最高傑作-原りょう「私が殺した少女」

原りょう(【りょう】は、寮のうかんむりを外した字)は、実に寡黙な作家である。

1988年に「そして夜は甦る」で鮮烈なデビューを果たし、1989年には、第2作にあたる「私が殺した少女」で第102回直木賞を受賞して順風満帆な作家生活を歩みだした。しかし、その後は1990年に短篇集「天使たちの探偵」を刊行したものの、以後ぱったりと作品の刊行が途絶える。第3長編「さらば長き眠り」の発表が1995年。第4長編「愚か者死すべし」が発表されたのが2004年。以後、2015年時点で新刊の発表は途絶えている。

27年の作家活動の中で、長編小説が4冊と短篇集が1冊、エッセイ集が1冊の計6冊しかない。海外では寡作な作家は珍しくないが、日本の作家でこれだけ寡作な人は、原りょうの他には知らない。

私が殺した少女 (ハヤカワ文庫JA)

私が殺した少女 (ハヤカワ文庫JA)

 

「私が殺した少女」は、寡作で知られる著者が、前作「そして夜は甦る」から約1年半を経て発表した作品であり、直木賞を受賞した作品でもある。

原りょうの小説は、ダシール・ハメットレイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドに連なる一人称ハードボイルド小説であり、主人公である私立探偵の視点で物語が語られていく。

私(渡辺探偵事務所の私立探偵・沢崎)は、男とも女ともつかない人物からの電話で、行方のわからない家族の捜索を依頼される。指定された目白にある真壁脩の家を訪ねた沢崎だったが、そこで彼は、真壁脩の娘・真壁清香誘拐事件の容疑者として目白署の刑事たちに拘束されてしまう。

沢崎の嫌疑はすぐに晴れたが、今度は連絡をしてきた犯人の要望によって、身代金の運び役に指定される。犯人の指示で真夜中の環七沿いのレストランを引きずり回された沢崎は、最後は駐車場で殴り倒され、身代金を奪われてしまう。その後、犯人から彼が約束を破ったとして交渉の終結を宣言する連絡が入る。忸怩たる思いを抱く沢崎は、誘拐された真壁清香の叔父にあたる甲斐教授の依頼を受け、彼の息子と愛人に生ませた娘のアリバイを調べる。

デビュー作「そして夜は甦る」が、探偵事務所を訪ねてきた依頼人の依頼を受けることで事件に巻き込まれているパターンの作品であるのに対して、本書は探偵自身が何ら意図したわけでもなくいつの間にか事件に巻き込まれるというパターンの作品になっている。

プロットは非常によく練り上げられており、冒頭の沢崎が事件に巻き込まれるところから、ラストの真相が明かされるシーンまできれいに一本の糸がつながっている。作品の執筆にそれだけじっくりと時間をかけ、推敲に推敲を重ねて仕上げているという印象だ。

原りょうが登場するまで、日本のハードボイルド小説は、一人称スタイルの私立探偵小説よりもアクションを主体に据えた冒険小説が主流だったように記憶している。代表的な作家が、船戸与一志水辰夫逢坂剛あたりだろうか。原りょう登場以前で一人称ハードボイルド作品となると、結城昌治の「探偵・真木三部作」(「暗い落日」、「公園には誰もいない」、「炎の終わり」)が代表的だろうか。そういう意味で、原りょうの登場は、ハメット、チャンドラー、ロス・マクといった作家の作品に連なる国産ハードボイルド作家が現れたと感じた。

原りょう自身は、レイモンド・チャンドラーの作品に多くの影響を受けている。それは、本人がそう言っているので、間違いないのだろう。ただ、一連の著作、中でも本書「私を殺した少女」はチャンドラーよりもロス・マクドナルドのテイストに近いという印象を受けた。

それにしても、前作「愚か者死すべし」が刊行されてから10年以上新刊が出ていないのは、遅筆ぶりにもほどがあろうというものだ。「愚か者死すべし」の《後記》では、続く作品を早く出していきたいという主旨の記述があるが、実際には何も音沙汰のないままに10年以上が経過してしまったわけである。

もうこうなったら、読者としてはただ待つことしかできない。覚悟を決めて、いつかその日が来るであろうことを祈りつつ私立探偵・沢崎シリーズの新作を待ちたいと思う。