タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

シュールとはこういう作品を指していうのだな-アルベルト・モラヴィア「薔薇とハナムグリ~シュルレアリスム・風刺短篇集」

「シュールだねぇ~」なんて言葉をよく聞く。私たちの耳に一番ポピュラーなのは、昔でいえばツービート、最近ならば爆笑問題あたりの、世間とか政治とかを皮肉ったブラックユーモア系の漫才とかコントに対する評価だろうか。

世間的には、単なる悪口であっても“シュール”と言ってしまっているような風潮が感じられて、個人的には眉をひそめる場面もあるのだが、言葉を使っている側もあまりよく理解しないまま使っているのだろう。そのくらいに、“シュール”という言葉は一般的になっているということなのだろう。

ただ、やはり“シュール”というからには、気の利いた風刺が込められていてほしい。そういう意味で、モラヴィア「薔薇とハナムグリ」は、『これぞ、シュール!』と思わせる気の利いたユーモアが満載だ。

本書は、イタリアの作家・アルベルト・モラヴィアの短編15篇を収録したシュルレアリスム小説傑作選である。

収録されている15篇のどれを読んでも面白いのだけれど、全部を紹介するわけにもいかないので、個人的にお気に入りになった作品をピックアップしたい。

1.部屋に生えた木
オープニングに収録されている作品。これで「つかみはOK!」だろう。

ある夫婦がいて、夫は自然よりも人工物に価値を見出すタイプ、妻は自然にこそ美を感じるタイプ。価値観は根本的に異なる。そんな二人の家に木が生えてくる。夫は、とっとと切ってしまえと言い、妻はこのまま育てると主張して二人は対立していく。

これは、“子育て”を意識して読むと面白い。部屋に生えてきた木は、夫婦にとっては子供であり、その子供をいかに育てていくかで夫婦は対立を繰り返す。それは、一般的な家庭によくある風景である。それを、無機質な存在である植物に置き換えて描くことで、子供の育て方を巡る夫婦の争いというのが、第三者から見ると実に滑稽であり、肝心の主役である子供(本作の場合は木)の意向はほとんどないがしろにされているのだ、ということを皮肉っているように読める。

2.ワニ
収録作の中では、1番か2番くらいに笑えた作品。あまりにくだらないところが逆に高評価だ。

夫の上司である銀行支店長の御宅を訪れたクルト夫人は、その家で奇妙な光景を目撃する。それは、部屋にワニのいる光景だった。しかも、支店長の妻であるロンゴ夫人は、そのワニをまるで毛皮を羽織るかのように身にまとったのである。それは紛れもなく生きたワニである。確かに珍妙な光景であるが、もしかするとワニを身につけるのが最新流行のファッションなのかもしれない。しかも、ロンゴ夫人は最近パリに行ったというではないか。クルト夫人の妄想は次第に膨らんでいく。そして、いつか自分もロンゴ夫人に負けないワニを手に入れようと誓うのである。

上流階級の夫人が、華やかに“ワニ”を身にまとっているビジュアルを想像するだけで面白い。自分に絵心がないことをこれほどまでに残念に思ったのは初めてだ。

この作品では、“ファッション”、“流行”というものの滑稽さがターゲットになっている。このモチーフに関しては、「春物ラインナップ」でも描かれていて、作者のモラヴィアがイタリア人であることを考えると、やはりファッションは切っても切れないアイテムなのだな、と思える。ただ、そこはシュルレアリスム作品、安易な流行ファッションやそれに飛びつく人々は風刺の対象であり、「ワニ」も「春物ラインナップ」も読後の余韻としては、結構なバッサリ感がある。

3.ショーウィンドウのなかの幸せ
この作品は、面白く笑えると同時に深く考えさせられる作品。

元公務員で既に引退の身であるミローネは、妻のエルミニアと娘のジョヴァンナを連れて街を歩くのが日課だ。ある日、新しい店のショーウィンドウに《幸せ》が並んでいるのを見つける。ミローネにしてみれば、幸せなんて、そう簡単には手に入れられるはずのない代物であり、そんな幸せがこんな店のショーウィンドウに並んでいるはずがない。そもそもイタリアでは幸せは産出されないはずなのだ。だとすれば、この店に並んでいる幸せは外国からの輸入品なのだ。だけど、娘のジョヴァンナにしてみれば、たとえそれが外国産でも、ほんの小さなものでいいから、幸せがほしいと思った。しかし、父親はそんな贅沢は許されない、父親である自分が幸せなしで生きてきたのだから娘もなしで済ませられるはずだ、と一笑に付する。

「『幸せ』ってなんだっけ~」というCMが巷に流れていたのは、もう何年前になるだろうか。人間というのは、“幸せ”になることを望む生き物だが、その“幸せ”の姿、価値観というのが人それぞれに形が違う。たくさんの家族や友人に囲まれて生きることに幸福を感じる人もいれば、金銭的な欲求を満たすことに幸福を感じる人もいる。

「ショーウィンドウのなかの幸せ」で、娘と父が見ている幸せの形は異なる。さらにいえば、まだ若い娘にとって幸せとは、まだ来ぬ自分の将来に対する希望であるのに対して、すでに人生の酸いも甘いも経験してすっかりすれてしまった父にとっての幸せは、願っても決して手に入れることのできない遠い存在となっている。

娘の立場にたって本作を読むか、父の立場にたって本作を読むか。いずれによって作品からの受け取り方は違ってくるだろう。「『幸せ』ってなんだっけ~」ということを今一度考えたくなる。

その他の作品も、どれをとっても面白い。本書を手にとって最初から順番に楽しむものいいし、適当な作品を選んで読んでみてもよい。どの作品を読んでも基本的にハズレはないので、安心して楽しんでほしいと思うのである。