ガタガタ書評ブログ

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たった一発の原爆が残した永遠に続く悲しみ-こうの史代「夕凪の街 桜の国」

8月6日広島。8月9日長崎。今年もそれぞれの場所で、平和のための祈りが捧げられた。

今年(2015年)、広島と長崎の平和祈念式典で奉納された原爆死没者名簿には、それぞれ以下の人数の死没者氏名が記載されている。

広島:29万7684名
長崎:16万8767名

昭和20年(1945年)8月6日と8月9日に投下された原子爆弾は、その70年が経過した今に至っても毎年犠牲者を増やし続けている。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

 
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

 
夕凪の街 桜の国 (双葉文庫)

夕凪の街 桜の国 (双葉文庫)

 

こうの史代夕凪の街 桜の国」は、広島の原爆を題材にしたコミックである。

「夕凪の街」の舞台は、原爆投下から10年後の広島。主人公の平野皆実は、長屋のバラック小屋で母親とふたりで暮らしている。

皆実も母も被爆者だ。自分はいつか死ぬ。死ぬことの恐怖と日々向き合わざるを得ない。明るく振る舞う皆実であるが、その胸の内には、深い絶望がある。だが、そんな彼女の絶望を私たちは想像することさえできない。

皆実は、明るく振る舞うことにも、人並みに恋をすることにも臆病になっている。臆病というよりも罪悪感だろう。8月6日を生き延びた者、生き残った者が心に抱えるトラウマ。ひそかに思いを寄せる会社の同僚から告白され、くちづけを求められた皆実の脳裏に浮かんだのは、あの日の光景。助けを求める人々を見殺しにしてしまったという罪悪感。それは、あの日の広島を生きた多くの人たちに共通した感情なのだ。

やがて、皆実は身体を壊す。すぐに食事がとれなくなり、起き上がることができなくなる。まっくろな血を吐き、そして目が見えなくなっていく。確実に失われていく命の灯火の中で、皆実は心で語りかける。

嬉しい?
十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

昨年8月6日から今年の8月6日までに広島の原爆死没者名簿に追加奉納された死没者数は5359名。被爆者の年齢的な面もあるだろうか、今だに年間5千人もの人が被曝が原因で亡くなっているという事実がそこにある。このことは深く胸に刻まなければならない。

「桜の国」は、「夕凪の街」からさらに時を経た時代。東京に暮らす石川七海とその家族の物語だ。

七海は、東京で父、祖母、弟と暮らしている。母親は既に亡くなっている。七海の祖母は、「夕凪の街」で亡くなった平野皆実の母・フジミ。被爆の影響で体調が思わしくない祖母は、七海が五年生の夏に亡くなる。

それからさらに時は過ぎ、七海は社会人となり(相変わらず野球好き)、弟の凪生は医者の卵になっていた。七海の気がかりは、最近の父が家族に隠れて何やらこそこそと行動していること。ある日、ふらりと家を父の後をつけていきついたのは、東京から遠くはなれた広島だった。

七海の父は、母と姉が被爆したあの日、疎開先の水戸にいた。その後、水戸の家族の養子となり大学進学を機に広島に戻ったのだった。七海の父と母は、広島で出会った。

「桜の国」で描かれるのは、被爆者と生きるということだ。被爆者を見る世間の目だ。

「ピカの毒はうつる」などと謂れのない偏見の目で被爆者たちは常に見られ続けてきた。被爆者自身も、自らの出自を隠して生きた。就職、結婚など人生の様々な節目で、そのすべてを諦めざるを得なかった人もいた。

広島や長崎で被爆した人たちは、差別や偏見や好奇の目で見られるような存在ではない。被爆者は、すべからく犠牲者なのだ。もちろん、同情するだけが被爆者に寄り添うことではない。被爆者が望んだのは、普通の人間として普通に接してもらうことだけだったはずだ。

2011年の東日本大震災福島第一原発事故が起きた時にも、同じことが繰り返された。福島に住む人々は、汚染された土地に住む汚染された人であるかのように扱われた。福島から避難してきた人に心ない悪態をついた事例も多数報告された。実際、私が住む街の施設では、福島の被災者を受け入れる準備を進めていたにも関わらず周辺住民の抗議で中止になった。

なぜ、そんな心ない態度を安易にとってしまうのだろう。なぜ、不安を煽るような悪質なデマが世に蔓延るのだろう。

「桜の国」には、そのことに対する明確な答えが示されるわけではない。風評という絶望が消えるには、やはり時間の経過だけが解決のための道筋なのだろうか。被爆者、被爆者二世、三世の人たちにとって、それはいつまでも消えることのない烙印なのだろうか。それは、広島からの帰りに夜行バスの中で七海が語る言葉の中にもこめられている。

母さんが三十八で死んだのが
原爆のせいかどうか
誰も教えてくれなかったよ

おばあちゃんが八十で死んだ時は
原爆のせいなんて言う人はもういなかったよ

なのに凪生もわたしも
いつ原爆のせいで死んでも
おかしくない人間とか
決めつけられたりしてんだろうか

 

あぁ、この物語にこめられた深い想いを伝えるに、私の語彙はあまりに貧弱である。戦争が、原爆が、そしてその後の70年という平和の日々が、人々の心に刻み込んだ何かをうまく言葉にできないのがもどかしい。でも、この想いを言葉にできないことが、その深さと重さを表しているのだ。そう思うことで自分が救われると信じたい。