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高校野球100年の歴史には刻まれていない幻の夏-早坂隆「昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち」

今日2015年8月6日に、第97回全国高等学校野球選手権大会(いわゆる夏の甲子園)が開会した。

今年は、1915年に第1回大会が開催されてから100周年という節目の年になる。100周年記念として、メディアも大会前からずいぶんと盛り上がりをみせている。

だが、ここであることに気づく。今年が100周年にあたりのならば、なぜ大会回数は、第97回になるのだろうか。本来、第100回大会となるのではないか。そこには、やはり戦争という暗い歴史が関係している。

昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち (文春文庫)

昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち (文春文庫)

 

太平洋戦争の真っ只中であった1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)の間、夏の甲子園は中止されている(1941年第27回大会は、地区予選の途中で中止となったため、大会の回数としてはカウントされる)。1946年から再開され、その年が第28回大会となる。

しかし、夏の甲子園が中止されていた1942年(昭和17年)に、実は甲子園で中等学校野球大会は開催されていた。本書は、100周年を迎えた夏の甲子園の歴史には刻まれない“幻の甲子園”となった昭和17年の甲子園大会について克明に追ったノンフィクションである。

昭和17年の甲子園大会は、文部省の主催で開催された。本来の甲子園大会は朝日新聞社主催であるから、このときの甲子園大会は、現在まで脈々と続く高校野球とは違う大会ということになる。開催にあたって、朝日新聞社から大会の回数を継承することと優勝旗の提供が提案されたが、それについては文部省側が却下したという。出場校は、全国の地区予選を勝ち抜いた16校であった。

この大会には、戦時下での開催ということもあってか、現在の感覚からするとかなりおかしなルールがある。

  1. 選手は「選士」と呼ばれ、どうしても続行不可能な重傷の怪我以外での選士交代は一切認めない(先発選士同士でのポジション変更は可能)。
  2. 打者が球をよけることは禁止。また、球が当たってもデッドボールとは認めない。

いずれも戦時下で、戦意高揚を目的とする国家によって設定されたバカげたルールである。

こうした、理不尽でムチャクチャなルールを課せられながらも、甲子園で野球ができる喜びに選手たちは溢れていた。16校の代表校は、それぞれの威信をかけて試合に臨み、決勝に勝ち上がったのは京都の平安中学と徳島の徳島商業だった。平安は、前日の準決勝が降雨のためノーゲームとなり翌日に順延。しかし、スケジュールの都合で、当日の午前中に準決勝、午後に決勝を戦うという、あまりに過酷な日程の中での決勝戦であった。平安のエース富樫は、肩を痛めており、ただ気力のみで投げ続けた。延長戦にまでもつれ込んだ決勝戦を制したのは徳島商業であった。

著者は、実際に試合を戦った各校の選手を訪ね、当時の話を聞いて回る。当時14,15歳から19歳くらいだった選手もすでに80代(本書執筆の2010年当時)である。老人となった彼らは、まるで昨日のことのようにあの大会のことを語る。

彼らは、ある意味生き残った者たちだ。昭和17年の夏、あの甲子園で戦った選手の中には、その後応召されて戦地に赴き、激戦の戦地やそこに赴く途中で戦死した者も多かった。それが、戦争というものであり、当時の日本はその戦争を戦っていた。それでも、昭和20年に終戦を迎え、戦地から帰還した選手の中には、その後プロ野球大学野球、ノンプロなどで再び野球に取り組んだ者もいる。母校の野球部の監督となり、自分のはるか後輩の選手を甲子園に導いた者もいる。

100周年となる今年(2015年)の夏は、早稲田実業OBで甲子園優勝経験もある王貞治氏の始球式で幕を開けた。これから、高校球児たちの暑い夏の戦いが行われていく。今年はどこが優勝の栄冠を手に入れるだろうか。どんなスター選手が現れるだろうか。台風の目となって大会を盛り上げるのはどの学校だろうか。

夏休みの子供たちは、自分の将来の姿を球児たちに重ねながらテレビを見るだろうか。青春などという甘酸っぱい記憶は遠い過去のものとなってしまったくたびれた大人たちは、昼飯時の食堂や昼下がりの喫茶店で冷やし中華をすすりながら、アイスコーヒーをちびちびと飲みながら、自分の子供を見守るように球児たちの活躍をみるだろうか。

高校野球には、真夏の炎天下に過酷な条件で野球をさせることへの批判がある。確かに、選手たちの身体を労ることは必要なことだ。それでも、やはり夏の甲子園は別格なのだと思う。高校生たちが思っきり野球ができて、それを無邪気に応援できることの幸福を今一度確認するべきだ。そして、あの悲惨な戦争の中でも青春を謳歌した若者がいたのだということを、本書を通じて知ることで、平和の大切を実感してほしい。