タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

もうすぐ8月6日がきます。今年も広島の空は暑く晴れ渡るでしょうか?-松谷みよ子「ふたりのイーダ」

今年(2015年)2月に児童文学作家の松谷みよ子さんが89歳で亡くなりました。誰もがその作品を子供の頃に読んでいると思います。もしかしたら、大人になって自分の子供に読み聞かせたりもしているかもしれません。

ふたりのイーダ (講談社青い鳥文庫 6-6)

ふたりのイーダ (講談社青い鳥文庫 6-6)

 

松谷さんは数え切れないほどの作品を残してきました。本書「ふたりのイーダ」もその中の1冊です。

「ふたりのイーダ」は、広島の原爆を題材にした児童文学です。

母親の仕事の関係で、広島郊外の花浦という町に住む祖父母の家に預けられることになった直樹とゆう子は、祖父母の家の裏にある雑木林の奥に建つ洋館で、しゃべる椅子と出会います。

椅子は、「イナイ、イナイ、ドコニモ、イナイ」と呟きながら、屋敷の中をガタゴトと動き回っています。そして、ゆう子のことを「イーダ」と呼び、ゆう子がこの館の娘だと主張します。

直樹は、椅子が探し求めているイーダはゆう子ではないと椅子に告げるのですが、椅子は聞く耳を持ちません。直樹は、この家に住んでいたというおじいさんとイーダのことを知りたいと思うようになります。祖父母の家の近所に住むりつ子さんというお姉さんの助けを借りて、直樹はおじいさんとイーダが、1945年8月6日に広島で原爆に遭い、亡くなったのではないかと考えました。

直樹は、屋敷に行くと、椅子におじいさんとイーダは広島で原爆に遭って死んでしまったのだと告げます。すると、椅子は崩れるようにバラバラに壊れてしまいました。

「ふたりのイーダ」は、原爆による被害の様子や被爆した人々の悲惨な様子を直接的に描いているわけではありません。むしろ、原爆は過去の話として、それでも今なおその被害に苦しんでいる人がいるのだということを主題にしています。

愛する主人、大好きな娘・イーダを探し求める椅子は、原爆で家族を失い、それでも「もしかしたら、元気に帰ってくるのではないか」と僅かな希望を胸に生きる遺族の姿です。

本書が刊行されたのは、1969年(昭和44年)です。広島に原爆が落とされたのが1945年ですから、24年後ということになります。きっと、その頃は原爆の記憶もまだ鮮明に残っていたことでしょう。そして、実際に被爆した人々の多くもまだ生存していたことでしょう。

それでも、松谷さんが本書を執筆したのは、もしかすると「まだ人々の記憶が鮮明なうちに、原爆のことを書いておきたい」と思ったからではないでしょうか。

今年(2015年)は、戦後70年の年です。それは、広島、長崎に原爆が投下されてから70年ということでもあります。そして、「ふたりのイーダ」が執筆されてから46年です。

本当に長い時間が経ちました。日本は、その間ずっと平和を保ってきました。それは、世界に誇れることだと思います。

でも、長い平和を享受する中で、人々の記憶から戦争の悲劇、戦争の愚かさ、戦争の悲惨さが失われてきているのではないでしょうか。

1年に1度でいい、8月のこの時期だけでもいいから、「ふたりのイーダ」のような作品を読むことで、あの愚かしく悲劇的な戦争を記憶に刻み、平和のありがたみを知り、不戦の誓いを新たにする、そういう機会をもつようにしなければいけないと、強く実感しました。

ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ)

ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ)