タカラ~ムの本棚

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目に見えている事だけに囚われていると本当の事が見えてこない。最後に明かされる真実に驚愕する-フェルディナント・フォン・シーラッハ「禁忌」

まず最初に言っておきたい。今度のシーラッハはスゴイよ。いや、今度“も”スゴイ、だな。

禁忌

禁忌

 
禁忌

禁忌

 

フェルディナント・フォン・シーラッハ「禁忌」には、シーラッハが巧みに埋め込んだ小説の企みが満ちている。読者は、物語の最初から気を抜いていてはいけない。

主人公は、ゼバスチャン・フォン・エッシュブルク。彼は、言葉が色になって見えるという共感覚の持ち主である。彼の物語を語っていく上で、色彩がポイントとなってくる。それは、各章に付けられた色、「緑」、「赤」、「青」、「白」が意味するところが、本書に仕掛けられた巧妙な伏線と言えるからだ。

「緑」の章では、ゼバスチャンの生い立ちが記される。父親との関係、父親の突然の死、母親と再婚した義父との関係が記され、その後、成長し写真家の元へ弟子入りしたゼバスチャンは、やがて独立しソフィアという女性と出会う。ゼバスチャンの写真は高く評価され、彼は社会的な地位を手に入れる。

それが、「赤」の章に入ると一変する。ゼバスチャンは、若い女性を誘拐し殺害したとされる容疑で逮捕される。彼は犯行を自供し起訴されるが、それは取り調べの刑事による脅しによる自供とされていた。

そして、「青」の章。ここで、ゼバスチャンが仕掛けた企みが明かされていく。ゼバスチャンの弁護を引き受けた弁護士のビーグラーは、ゼバスチャンとの接見を通じて、彼の企みを知り、事件の真実の姿を見出していく。堅物の弁護士・ビーグラーがゼバスチャンとの接見、彼の供述に基づく調査と過程で次第に真実を理解していく中で、ちょっとずつキャラが変わっていくところも面白い。

圧巻は法廷シーンだろう。ビーグラーが、拷問を仄めかす脅しによってゼバスチャンに自供を強要した刑事を、ビーグラーが法廷で追い詰める。そこには、ビーグラーというキャラクターの言葉を借りて、シーラッハ自身の主張が込められている。確かに、犯罪人は裁かれなくてはいけない。しかし、そのために刑事、検察はどんな手段を使っても良いわけではない。脅迫や拷問による自供は、たとえそれが正義のためであっても、決して行ってはいけないことだ。シーラッハの中にそういう強い信念があるのだと思う。

本書のラスト、ゼバスチャン事件の真相については、おそらく賛否両論あるだろう。チェスをするトルコ人の機械を引き合いに出したゼバスチャンの最後の陳述と法廷内に流されたある映像。それは、法廷内に居合わせた判事、検事、そして傍聴人とマスコミ、そのすべてを混乱と困惑に落とし込む。

このケレン味の溢れたラストシーンに、驚愕を覚える人、ただただ呆気にとられる人、怒りを覚える人、評価は様々だろう。それこそが小説の魅力であるならば、シーラッハ「禁忌」は実に小説らしい小説といえるのではないだろうか。