ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

あの事件が世の中に与えた衝撃は、作家をして最高の家族の物語を生み出した-窪美澄「さよなら、ニルヴァーナ」

先日、神戸連続児童殺傷事件の犯人・元少年Aが発表した「絶歌」についてのレビューをアップした。

s-taka130922.hatenablog.com

あの事件が与えた影響はあまりに大きい。あの事件そのものや少年犯罪を題材にした作品も相当数書かれているだろう。その中のひとつが、窪美澄「さよなら、ニルヴァーナ」である。

さよなら、ニルヴァーナ

さよなら、ニルヴァーナ

 

まず、タイトルにある「ニルヴァーナ」だが、これはアメリカのロックバンド「ニルヴァーナ」に由来する。作中で、医療少年院に収監された晴信が、同じ院生のWから「ニルヴァーナ」について説明される場面がある。

「おまえ。ニルヴァーナとか好き?」
いつもより、いっそう早口でWがその言葉を口にしたのでその単語が聞き取れず、何? と言いながら、右耳をWのほうに向けた。
「ニル、ヴァー、ナ。ニ、ル、ヴァー、ナ」
(中略)
「バンドの名前だよ。おれが好きな。ここ出たら聴いてみなよ。おれはさぁ、あのブタ女を指したときも、あいつらの曲を聴いてたんだよね」
音楽のことにはまったくくわしくないから、Wが何を言ってもその言葉は耳を通り過ぎてしまうような気がした。けれど、そのときの会話のことは、あの場所を出たあとも忘れずに覚えていた。初めて聞くニルヴァーナ、という不思議な音が僕の耳に残った。
             --「Ⅶ 磁石の裏側」 p.273より一部抜粋

14歳で事件を起こす晴信は、さらに子供の頃、あるカルト的な宗教団体の施設で母と共に過ごしていたことがある。「ニルヴァーナ」には、宗教的な意味合いがあり、仏教用語では「涅槃」であり、ジャイナ教という宗教では、「魂の解放」を意味するらしい。本書のタイトル「さよなら、ニルヴァーナ」は、ロックバンド・ニルヴァーナで考えるとわかりにくい感じがあるが、“ニルヴァーナ”という言葉の持つ宗教的な意味合いまで込みで考えると、「魂の解放」に対する決別という構図が見えてくるように思える。

本書では、苦悩する4人の登場人物の、それぞれの視点で語られる物語が折り重なるようにして構成されている。

作家に憧れて上京したのに夢は叶わず、東京での生活に疲れて故郷へ帰った女性。

少年によって、まだ幼かった娘を殺害された被害者遺族の母親。

少年を“ハルノブ様”と呼んで崇拝する少女。

そして、その加害者少年。

4人の登場人物は、元少年・倫太郎(晴信)を中心に、事件の被害者遺族である母親と“ハルノブ様”を崇拝する少女がそこに絡んでいく。作家志望の女性は、3人には直接的には絡まず、外側に位置していて、最終的には観察者となる。

残忍な少年事件だけでなく、神戸の大地震オウム真理教によるサリン事件、東日本大震災といった出来事も物語に絡んでいる。これだけの題材を集め、そこからひとつの物語を、破綻なく構成しているところは本当にスゴイと思う。これこそが作家の力量ということなのだろう。

テーマがテーマだけに、話はどうしても重く、そして苦しい。悲劇的とも言えるラストに向けて走って行く物語。そこには一切の救いは存在していないかのように思える。だが、改めて本書のタイトル「さよなら、ニルヴァーナ」の意味を考えてみれば、この物語にはこのストーリーとこのラストが必然であったのだと気づく。なぜなら、本書に登場する4人はそれぞれに、人生の中でなにかを失い、人生において何かに希望を見い出すことができないからだ、彼らが唯一見ることのできた望みが、本書には確かに描かれていると感じる。

本書が、元少年Aの手記「絶歌」と同じタイミングで出版されたのは、ある意味で運命である。両方を読んだ上での感想は、本人が事実を記した「絶歌」よりも、作家・窪美澄が事実を基に築きあげた物語である「さよなら、ニルヴァーナ」の方が、断然に現実的であるということだ。それこそが、作家という創造者が生み出す物語の力なのである。