タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

嫌がらせ=愛、でもちょっと食傷気味-ttkk(kaori)「今日も嫌がらせ弁当 反抗期ムスメに向けたキャラ弁ママの逆襲」

キャラ弁”なるものが登場してどのくらいになるだろう。マンガやアニメのキャラクターを精巧に再現した、もはや芸術的とも思えるようなキャラ弁もあれば、「あの~、それは一体なんですか?」と問い質したくなるようなキャラ弁もある。

たいていの場合、キャラ弁を作るのは子供が喜んでくれるからだろう。まだ小さい保育園や幼稚園の子供が、お弁当を喜んでくれて、残さずに食べてくれるのであれば、朝早くからお弁当作りをするのも、大変ではあっても幸せな時間となっているのだと思う。

今日も嫌がらせ弁当

今日も嫌がらせ弁当

 

だが、本書に掲載されているキャラ弁の数々は、そうした幸せなイメージからは程遠いものだ。

著者がほぼ毎日お弁当を作る相手は、高校生の次女である。その娘に向けたキャラ弁のコンセプトが“嫌がらせ”なのである。

  • お手伝いをしない
  • 使った皿を片付けない
  • 弁当箱を洗い物に出さない
  • 雨でもないのに学校まで車で送り迎えさせる
  • 目覚ましかけてても朝起きてこない
  • 魚を食べない

こうした、娘に対する日々の欲求不満を、“キャラ弁”という形でぶつけていく母親。毎日、お昼に学校で弁当を開けると、そこには母からの嫌がらせメッセージがある。友達には受けそうだけど、本人はちょっと複雑な感じだろう。

しかも、この嫌がらせ弁当を著者は娘が高校を卒業するまで続けるのである。その根気は一体どこから湧いているのであろうか。そして、その嫌がらせ弁当を高校卒業まで食べ続けた娘のメンタリティも敬服である。

本書は、著者が日々作り続けた嫌がらせ弁当を、ブログで公開し、それが人気となってアクセス数が増加した結果、書籍化されたものである。私は、元となったブログは見たことがなく、今回たまたま図書館で本書を見つけて読んでみたのだが、この手の内容は日々少しずつ更新されるブログで見ると楽しいのかもしれないが、書籍としてまとめて見ると、半分くらい読んだところで内容に食傷気味になってくると実感した。

作った弁当の写真があって、ブログの文章があって、という構成が延々と続く。ページをいくら捲ってもそのパターンの繰り返し。数々の嫌がらせキャラ弁も、だいたいパターンが決まっていて、一気に何十枚も見ていられるものではない。やはり、時々ブログにアクセスしてみて、「さて、今日はどんな嫌がらせ弁当になってるのかな?」と覗いてみるくらいの感じがちょうどいいのである。

以前、渡辺俊美「461個の弁当は、親父と息子の男の約束」を読んだ。

s-taka130922.hatenablog.com

「461個の弁当」と「嫌がらせ弁当」は、父親と息子、母親と娘の違いはあるけれど、どちらも親が子供に弁当を作り続けた記録である。しかし、読後感については、両者で大きく違っていた。「461個の弁当」は、父と息子の愛情、尊敬、信頼があって、父親が息子のために頑張って弁当を作っているところを好意的に読めた。それに対して「嫌がらせ弁当」は、母親が娘のために頑張って弁当を作っているのだけど、その動機が“嫌がらせ”ということもあり、愛情とか尊敬とか信頼というものがあまり感じられないのである。

もちろん、「嫌がらせ弁当」に愛情がない訳ではない。むしろ、母親の愛情がぎっしりと詰まっているのかもしれない。母親が作る嫌がらせ弁当をブチブチと文句を言いながらも3年間食べ続けた娘からも、母親への尊敬があるのだろうと思う。だが、その愛情や尊敬があまり好意的な印象を受けない。

そもそも、本書は母娘愛とかいう高尚なものを見せようというのではなく、「嫌がらせ弁当=面白い」というコンセプトで作られている。だから、読者がその内容に愛が感じられないとか、尊敬がないとか不満を言うのは、著者や出版社的には「いやいや、そういう本じゃないし」ってことなのかもしれない。

そういったところも含めて、本書はまとめ読みするよりも、少しずつ楽しむ読み方をオススメしたいのである。

 【追記】絵本化されててちょっとびっくり!

きょうもいやがらせべんとう

きょうもいやがらせべんとう