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ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

これは懺悔なのか。それとも、ただの自己顕示なのか-元少年A「絶歌」

もしかすると、本書について語ることは、自らの悪性を告白するに等しいことなのかもしれない。
もしかすると、多くの誰かを、知らず知らずに傷つけることになるのかもしれない。

絶歌

絶歌

 

1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した猟奇殺人事件は、その犯人が当時14歳の少年であったことで世間に衝撃を与えた。

「神戸市連続児童殺傷事件」の犯人、自称“酒鬼薔薇聖斗”こと14歳の少年Aは、逮捕後、医療少年院に収監され、2004年に退院している。退院後は、社会復帰を果たしており、2015年現在は32歳となっているそうだ。

その“元少年A”が、事件から約16年、医療少年院を退院してから約11年を経て、自らの事件とその後の生い立ちを書き記したのが、本書「絶歌」である。

この本を読むこと、それ以前に買うことに罪悪感を覚えた。それでも、1600円ほどの代金と引き換えに本書を手に入れたのは、大いなる好奇心ゆえであると、正直に告白しておきたい。あの事件の当事者である元少年Aが、時を経て、あの事件をどう自らの言葉で語るのか。それは、なによりも興味深いことだった。

本書は、元少年Aにより事件当時のこと、逮捕されてから医療少年院送致となるまでのことを記した第1部と、医療少年院を仮退院し、社会復帰を果たして現在に至るまでを記した第2部によって構成されている。

読み進める中では、常に違和感というかもどかしい印象がつきまとった。本当に、事件の加害者である元少年A自身が書き記したものなのだろうか、という疑問が頭から離れなかった。それくらい、他人事のように書かれているのだ。

事件当時の様子や当時の心境、逮捕されてからの取り調べの様子などを記した第1部にしても、元少年A自身の本当のところは一切書かれていないように思える。肝心なところを記そうとしていない。確かに、加害者である元少年Aにとっても、あの事件の顛末や当時の自分の心理状況などは、忘れてしまいたい過去になるのだろう。しかし、もし彼が医療少年院に入所していた期間や、退院後現在に至るまで、自らの犯した過去と、その過去によって縛られる窮屈で辛い日々を経る中で、事件を客観的に見つめなおし、被害者遺族への真摯な反省と謝罪の気持ちを持てているのなら、このような文章表現にはならないだろうと思わせるところが多々あるのだ。

第2部に入ってからも、自分がいかに苦労して生きてきたかが、他人事のように淡々と語られる。自分が、“あの”少年Aであることが露呈しないように息を潜め、他人とは極力接しないように生きていくことの辛さ。職を転々とする根無し草のような生き方を強いられている自分の境遇を、あたかも、懺悔のごとく告白していくのだが、そこからも“反省”というものが感じ取れない。言い方は悪いかもしれないが、「僕、こんなに大変なんだよ」とアピールしているかのようだ。同情を買おうとしているかのようだ。

確かに、元少年Aにとっての贖罪は、医療少年院からの退院によって一定の区切りがついた。法律上、彼は自由の人だ。そういう意味で、禊を済ませて以降も過去に犯した罪の重さによって、人間らしい生き方を否定されてしまうという事実には、同情を感じさせるところがある。だが、全編にわたってそのことばかりが書かれていると、同情はやがて怒りへと変異してしまう。

最後まで読み終えてみて真っ先に思ったのは、この本が出版される意味があったのか、という疑問だった。この壮絶なる違和感は絶対に払拭されることはないだろう。もしも、この本が出版された目的が、読者にこの壮絶なる違和感を植え付け、再びあの事件について考えるきっかけを与えること。さらに、加害者であることで苦しんでいる元少年Aに、再び注目を集めさせようと考えているのなら、その目論見はもしかすると成功するかもしれない。

気持ちの悪い読後感だった。

【追記】
他人のことをとやかく言える立場ではないが、週間ベストセラーになるほど売れているという事実に、人間の好奇心の貪欲さを知った気がする。

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