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【映画評】天才同士の火花を散らす強烈なセッションに震える-デミアン・チャゼル監督「セッション」

冒頭、カメラは薄暗い廊下をゆっくりと進んでいく。遠くから激しいビートを刻むドラムの音が聴こえてくる。シャッファー音楽学院の練習室で、若いジャズドラマーのアンドリュー・ネイマン(マイルズ・テラー)が一心不乱にドラムの練習をしているのだ。そこに、学院内で最高の指導者であり指揮者であるテレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)が現れる。ふたりの天才が遭遇する場面から、すべての物語が始まっていく。

session.gaga.ne.jp

若き天才ジャズドラマーであるアンドリュー・ネイマンと、最高の指揮者であり指導者でもあるテレンス・フレッチャーとの、火花を散らすようなぶつかり合いを描いた映画「セッション」(原題:Whiplash)は、全編にわたってヒリヒリとした緊張感と爆発的な高揚感が支配する。

主人公のアンドリューは、自らの才能を信じ、自信を漲らせた若者だ。彼は、最高の指揮者であるフレッチャーに見い出され、彼のスタジオ・バンドにスカウトされる。そこでは、フレッチャーがすべてにおいての絶対的権力者であり、彼の指導はときにバンドメンバーの尊厳さえも否定するような高圧的で厳しいものであった。

フレッチャーの指導法は、非人間的であり暴力的だ。アンドリューが初めてフレッチャーのスタジオに入った日、フレッチャーは「音程がズレている。すぐに名乗り出ろ」とメンバーに迫る。トロンボーン担当のメンバーをターゲットにしたフレッチャーは、そのメンバーに怒声を浴びせると、彼をスタジオから追い出す。

この場面は、フレッチャーの高圧的なサディスティックとも言える態度を強く印象づけるとともに、彼の狡猾とも言えるマネジメント手法を観客の心に植えつけている。この段階でフレッチャーは、この映画における“悪役”と認識されるのだ。そして、彼が悪役であるとした伏線が、ラストシーンでの、アンドリューとフレッチャーのぶつかり合い-セッション-に高い効果を与えていくのである。

様々な対立、確執を重ねながら、アンドリューは自らの才能を次々と開花させていく。フレッチャーからすれば、その成長は脅威でもあったのかもしれない。ラストに描かれるJVC音楽祭での、アンドリューとフレッチャーの息詰まるようなせめぎあい。天才が天才を認める瞬間。その場面に、観客はしばし呼吸を忘れるほどの緊迫感を味わうだろう。エンドスクロールが終わり、劇場内に灯りが戻った後も、しばらく席を立つことができなくなるような余韻。この作品は、劇場でなければ味わえない映画の魅力を存分にたたえている。