太宰治「ヴィヨンの妻」に登場する大谷は、作者自身を彷彿とさせるような、明らかな“ダメ男”である。
顔馴染みとなった小料理屋にふらりと現れては、しこたまに酒を飲み、それでいて一切勘定を支払おうとしない。はじめて大谷がひとりで現れたときに、百円紙幣を1枚出したのが唯一の支払いで、それ以降は3年にもわたって無銭飲食を続けているのだ。その挙句には、店の金五千円を盗み出す始末である。
まぁ、元来男というのは“ダメ人間”と相場が決まっているのかもしれない。仕事もしない、金遣いは荒い、女に見境がない、女房に暴力をふるう。そんなダメ男パターンをフルパッケージで抱え込んでいるような、最低最悪のダメ人間ともなれば、それはレアケースかもしれないけれど、仕事は人並み以上にこなすけれども、他のことはからきし、という男は、今でもそこそこ存在している。
対して、大谷の妻はどうだろう。
彼女は実に強かな女である。五千円を盗み、泥酔して帰宅した夫と、追いかけてきた小料理屋の店主夫婦との修羅場を目の当たりにしながら、彼女は特に混乱する様子も見せず、刃物を振り回して逃亡した夫を呆然と見送る夫婦から事情を聞き出し、「私が後始末をつけます」となんの根拠もなく請け負う。翌日になって、当然なんの解決策も持ち合わせない彼女は、子どもと公園で遊んだ後、堂々と夫婦の営む小料理屋に出向き、
「あの、おばさん、お金は私が綺麗におかえし出来そうですの。今晩か、でなければ、あした、とにかく、はっきりと見込みがついたのですから、もうご心配なさらないで」
と嘘を並べたてると、そのまま店の手伝いまで始めてしまうのである。夫婦としては半信半疑だが、そこへ神経が図太いというか恥知らずというか、大谷が女連れで抜け抜けと店にやってくる。大谷は、彼女が店にいることを知り、亭主と話をして昨晩盗んだ五千円を返す。
ただ、それで話は終わらない。大谷に飲み代のツケがまだ2万円も残っていると聞かされた彼女は、なんとその小料理屋で働き始めるのだ。
どうだろう、この強かさ。
大谷は、無頼を気取り、妻をないがしろにし、滅多に家には帰らず、飲み歩いたり女のところへ転がり込んだりしているが、実際のところ妻に完全に掌握されているのである。
結局のところ、男はみんなダメ男であり、そんなダメ男を掌で転がす女はみんな強かに生きているのである。
【補足】
この作品も、2009年に映画化されている。
(先日の「パンドラの匣」も2009年公開。この年は太宰治生誕100周年で彼の作品が映画化された。他に「人間失格」も2009年である)
大谷 浅野忠信
佐知 松たか子 ※小説では小料理屋で“さっちゃん”と呼ばれているが“佐知”という名前はでてこない
なお、この映画に関してはまだ未見であるため評価は控えさせていただきます。