シチュエーション・コメディ(シットコム)とは、
・舞台設定、登場人物がほぼ固定された1話完結のコメディ・ドラマ
である。太宰治「パンドラの匣」は、この定義に従って「とある療養所を舞台にしたシットコム」として見ても、それはあながち間違った解釈でもないだろう。
“健康道場”と称される療養所に入所した“ひばり”こと小柴利助から詩人の友人に宛てた手紙という形式で、この物語は構成されている。ひばりは、“越後獅子”や“かっぽれ”、“固パン”といった同じ入所者とのエピソードや、自分たちのお世話をしてくれる“竹さん”、“マァ坊”といった助手さんたちとのエピソードを、その詩人の友人に宛てた手紙に認めるのだ。そこには、病気を抱えていながらも、明るく平和で楽しく過ごす日々が書き記されている。
「パンドラの匣」は、全編にわたってユーモアに溢れた楽しい小説である。ややもすると、軽佻浮薄とも感じられる明るさがある。今で言えば、ライトノベル風のテイストだ。ひばり、つくし、竹さん、マァ坊。登場人物たちは、初々しく甘い恋の世界にも生きている。時節柄、直接的な恋愛ではないけれども、互いに互いを意識しつつも、互いに気持ちを確かめ合うこともなく、ただただ淡く甘い。恋を恋とも呼べぬほどのプラトニックさが、読んでいて歯痒いやら微笑ましいやら。
決して、爆笑を誘うような話ではない。でも、どこか「クスリ」と可笑しくなるようなユーモアが随所に散りばめられている。例えば、療養所におけるお決まりの挨拶。
「ひばり。」と今も窓の外から、ここの助手さんのひとりが僕を鋭く呼ぶ。
「なんだい。」と僕は平然と答える。
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よし来た。」
見よ、この軽妙な掛け合い。このやりとりを参考に生み出されたのが、明石家さんまとジミー大西の掛け合い、
「ジミーちゃん、やってる」
「やってるやってる」
「がんばれよ」
「お前もがんばれよ」
なのだ(これはウソ)。
なお、この「パンドラの匣」だが、2009年に映画化されている。
キャスティングもなかなか。目玉は竹さん役の川上未映子だろう。「傑作!」と賞賛するほどではないかもしれないけれど、原作の世界観はうまく出していると思う。