タカラ~ムの本棚

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戦争を知らない世代が描く「戦争のリアル」がなぜか心に響かない−高橋弘希「指の骨」

今年2015年は、太平洋戦争の集結から70年目の節目の年である。戦後70年…あの戦争を現実として知っている方々は、皆70歳以上で老境の域にあり、戦争を知らない若い世代への記憶の継承が必要とされている。

指の骨

指の骨

 

高橋弘希「指の骨」は、太平洋戦争末期の南方戦線における野戦病院での極限を描いた作品。第46回新潮新人賞を受賞した著者のデビュー作にして、第152回芥川賞候補となった。

南方戦線で負傷した「私」は、同じく負傷したり、マラリアなどの病気に罹患した他の兵士たちと野戦病院で治療を受けている。そこでは、満足な治療もできないままに兵士たちが死んでいくのが日常である。

若い軍医は、兵士が死ぬとその指を切り落とす。誰もがそれを黙って見守る。切り落とされた指は、いずれ誰か日本に帰還するものが、死んだ兵士の遺族に遺骨として持ち帰ることになるのか。

私は、同じ患者として病院にいる眞田、清水と会話を交わす。缶詰を分けあったり、煙草を分けあったりする。そして、私を残して清水も眞田も命を落とす。

ここに描かれるのは極限のリアルであるはずだ。しかし、読み手はそのリアルさを実感することが難しい。それは、本書がきわめてドライに淡々とした筆致でリアルを描いているからだ。

戦争は、人間のエゴがぶつかり合い、生と死という極限の二者択一を常に突きつけられる形で進行する。それは究極にウェットな世界であろう。その世界観をドライに描くことで、「リアル」なはずの戦争が「非リアル」になってしまった。そういう印象を本書を読んで感じた。

本書からリアリティを感じられないことについては、東京新聞2015年3月22日号の池上冬樹氏の書評でも言及されている。

www.tokyo-np.co.jp

本書は戦争文学としてリアリティがあると評価されているが、ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』他の名作を読んでいればそう思わないはず。いかに戦争小説が読まれず、戦争が視覚的なニュース映像でしかないことを表している。三崎亜記『となり町戦争』もそうだが、日本では戦場をリアルに喚起しない観念的な戦争観こそリアルなのだ。

著者も含め、多くの作家は現実の戦争を知らない。それは当然のことだ。だからこそ、あの戦争を若い作家や私たちのような戦争を知らない世代がどのように受け止め、どのように記録として、記録として残していくかが、永遠のテーマなのである。

戦争を知らない作家が戦争を描く。その代表が古処誠二であろう。古処が描く戦争は生々しいリアルを感じさせてくれる。そういう意味で、実にウェットな戦争小説である。高橋弘希が古処誠二を意識したか否かはわからない。ただ、意図的か偶然かはともかく、「指の骨」が古処誠二の描く戦争小説とは真逆の印象を与える作品になっていることは間違いないと思うし、その方向性自体は正しいのだと思う。

今後、高橋弘希が戦争をテーマにした作品を書き続けるのかはわからないが、このテーマを継続するのであれば、ドライな文体の中で感じさせる戦争をリアルを、さらに追求して欲しいと期待するところである。