タカラ~ムの本棚

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冷静に、あくまで冷静に読んでみました−「百田尚樹『殉愛』の真実」

なにわの視聴率男・やしきたかじん氏が亡くなって、彼を取り巻く周辺に何やらドロドロとしたものがうごめいている。

百田尚樹『殉愛』の真実

百田尚樹『殉愛』の真実

 

そのドロドロの騒動に火をつけたのは、間違いなく、百田尚樹の「殉愛」であろう。やしきたかじんの最期を看取った妻さくらの献身的な看病の様子を感動的に描くとともに、たかじん氏の長女やマネージャーといった人々を、親不孝、忘恩の極悪人であるかのように描いた「殉愛」は、当然のように物議を醸す。

本書は、「殉愛」に描かれた妻さくらの美談やたかじん氏の親族やマネージャーによる、たかじん氏やさくらへの冒涜ともいえる仕打ちの数々について、その真実はどうなっているのかを、綿密な取材に基いて検証するものである。

以前に、百田尚樹「殉愛」のレビューを書いた際、同書が、あまりに妻さくらの側に立ち過ぎた内容になっていて、すごく違和感を感じたことを書いた。悪者とされたたかじん氏の長女やマネージャーの側には、一切の取材をした形跡がなく、すべてがさくらの証言をベースに書かれてしまっているところに、ノンフィクションとしてのレベルの低さを感じたのだ。

本書が指摘するのもまさにその点である。
本書では、たかじん氏の弟からの手記も掲載されている。さくらが、たかじん氏の死後、親族に知らせる前にマスコミ関係者に公開しようと動き、年老いた母を含む親族には、遺体を火葬した後にようやく連絡をしていること。お別れの会には、当初親族を呼ばず排除しようとしていたこと。そういった、およそ一般的には考えにくい行動について、たかじん氏の親族がどう考えていたのかが記される。

今回、できるだけ冷静に、中立的な視点で本書を読もうとした。「殉愛」に対するバッシングや妻さくらに対するバッシング、名誉毀損その他を巡る各種の訴訟問題。そういった外的要因をできるだけ意識せずに読もうと思った。

結果から言えば、やはりそれは難しいことだった。それだけ、「殉愛」という自称ノンフィクション作品に対する不信感は、根深く私の中に存在していたのだろうと思う。

「殉愛」絡みの裁判は、着々と進められているようで、先日も口頭弁論が行われたそうだ。騒動が持ち上がり、作品や妻さくらへのバッシングが加熱する中で、著者の百田尚樹は、ツイッターなどでさかんに反論(というか、逆ギレか?)を展開してきた。その中には、「本には書かなかったが、表に出ると本当にやばい事実を握っている。裁判でそれを出す」という、脅しのようなツイートもあった。だが、実際の裁判では、これまでのところ百田尚樹の言うような「爆弾」は出てきていないようだ。

何が本当に真実なのか。それは、当事者以外にはわからない。ただ、言えるのは、こうして野次馬根性で「殉愛」とそれと真っ向から対立する本書を読んでみたけれど、しょせんはとある家族の内輪もめなのだということ。あまり真剣に事態の推移を見守っても時間の無駄だな、と思うのである。