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すべてが真剣勝負!強靭な体力と精神力を有する柔道狂たちの青春-増田俊也「七帝柔道記」

“柔道”というと、オリンピック競技にもなっている立ち技が主体のスタイルしかないものだと思っていた。しかし、世間一般に認知されているスタイルの柔道(講道館柔道というらしい)の他にも、独自のルールで戦う柔道があるのだという。

七帝柔道記

七帝柔道記

 
七帝柔道記 (角川書店単行本)
 

本書は、一般に知られるスタイルの柔道とは一線を画す、“七帝柔道”と呼ばれるスタイルの柔道に学生時代のすべてを注ぎ込んできた著者の自伝的小説である。

七帝柔道の“七帝”とは、旧七帝大(北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大)のこと。戦前から続く旧帝大の対抗戦によって展開される柔道が“七帝柔道”である。

著者は、高校時代に七帝柔道に魅了され北海道大学に1浪して入学、柔道部に入部する。当時の北大は中量級以下の体格の選手がほとんどであり、北大柔道の歴史の中でも最弱に近いレベルであった。著者をはじめとする部員たちは、OBや先輩からの徹底した指導を受け、連日死にもの狂いで練習に励むが、七帝大会では一向に勝つことができない。さらに強くなるための練習は熾烈さを極めていく。

七帝柔道の特徴は、一般的に知られる講道館スタイルと違い寝技が中心であるということだ。また、試合時間も長いため、15人の団体戦で行われる試合は、時に数時間にも及ぶことがあるという。だが、寝技中心で試合時間が長いため、見ていてもアクティビティはあまり感じられないようだ。おそらくそれが、オリンピックなどで、派手な投げ技主体で注目を浴びる講道館柔道との最大の違いになるのかもしれない。

また、七帝柔道では基本的に「待った」がかかることがない。講道館柔道では、選手が場外へ出たり、寝技などで試合がこう着状態になると審判が待ったをかけ、選手を引き離して改めて再開させるが、七帝柔道では技が決まるまで待ったがかかったりはしない。しかも、寝技や絞め技ががっちり決まっても、決められた側の選手は決して参ったすることもない。締め落とされて意識を失ったり、場合によっては関節技によって腕をへし折られるまで耐えるのである。つまり、七帝柔道の選手には何よりも強力な精神力が求められるのだ。

本書を読むまで、七帝柔道なる競技があることを一切知らなかった。そして、本書を読んで、そのあまりの過酷さに戦慄を覚えた。果たして、柔道にそこまでの限界を求める必要性はあるのだろうか。

一時期、体罰やセクハラといった現代社会ならではの問題によって、その存在意義すら見失われつつある日本の柔道界だが、少なくとも七帝柔道の世界には、そういう些末な問題を超越した精神世界が存在しているように思える。私は、あまりそうした精神論的思考は好きではないのだが、本書からはその濃厚なまでの世界観が立ち上っているように感じた。ただ、このような世界にあこがれる気持ちを、ヘタレな私は残念ながら持ち合わせていない。