ガタガタ書評ブログ

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何も起きない平穏な日々にこそ物語はある-堀江敏幸「なずな」

堀江敏幸「なずな」は、赤ん坊を預かって育てている男の日常を描く穏やかな物語である。小説世界というのは、時に大きな出来事があり、それに翻弄される人間の姿が描かれることで、物語の起伏を表現するものだが、この「なずな」に関しては、物語の全編を通して、特になにか大掛かりな事件が起こるわけではない。そこには、とある事情から弟夫婦の赤ん坊なずなを預かり、育てることになった中年独身男が子育てに奮闘する姿と彼を支える周囲の人々との交流が静かに描かれているだけだ。

なずな (集英社文庫)

なずな (集英社文庫)

 

私(菱山)は、ある事情から弟夫婦の子供を預かっている。子供の名前はなずな。まだ3か月の新生児だ。旅行会社で添乗員をしている弟が視察に行った海外で交通事故に遭い、母親である義妹がウィルス性の感染症に罹って入院してしまったため、私が一時的に引き取ることになったのである。

私は、地方の新聞社で記者をしている。新聞社といっても発行は週に3日でページ数も数ページ程度。掲載される記事は地元の話題が中心の実にローカルな新聞社だ。私は、なずなを育てるため在宅で働いている。

私の周囲には様々な人がいて、彼らは私となずなを暖かく見守っている。私が住むマンションの管理人の黄倉さん、マンションの1階で居酒屋『美津保』を営む瑞穂さん、『美津保』の常連でなずなのかかりつけ医でもあるジンゴロ先生とその娘で看護師の友栄さん、新聞社の社長の梅沢さんに同僚の鵜戸さん、佐竹さん、樋口くん。誰もが慣れない子育てに悪戦苦闘する私を手助けしてくれ、なずなには優しい眼差しを向ける。私は、数時間ごとになずなにミルクを与え、散歩に連れ出し、寝かしつける。その間に記者としての仕事をこなす。そんな毎日の中で、なずなが見せる変化に子育ての楽しさ、面白さを覚えていく。

本当になにも突飛なことは起こらない。変わり映えのしない単調な日常生活が続いていくだけだ。なのに、どこか印象深い作品になっている。物言わぬ赤ん坊のなずなが、やはり重要な存在として作品の中心にどっかりと座り、彼女を取り巻くように他の登場人物たちが動いている。腹が減れば泣き、オムツが濡れれば泣き、たっぷりとミルクを飲み、そして眠る。なずなは、何も話さない。けれども、なずなは日々すくすくと成長しているし、表情も豊かになっていく。

読み終わって冷静に振り返れば、実に淡々とした作品であったと気づく。しかし、読んでいる間は、まるで自分が私となずなの擬似親子を見守っているかのような心持ちになる。読み終わってスーッと優しい気持ちになれる、そんな作品である。