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俺達が日本の出版界を支えているというプライドが復活へのモチベーション!-佐々涼子「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」

私たちが日常的に接しているたくさんの本は、当然ながら紙でできている。それって、忘れがちで、当たり前のことだけど、結構大事なことでもあります。書店に並べられて、私たちが手に取り、購入し、読んでいる本や雑誌などの出版物は、紙がなければ作ることができなくなるのです。そしてその、紙の生産が危機的状況となり、日本の出版業界に強烈なインパクトを与えたのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災津波だったのです。

紙つなげ!  彼らが本の紙を造っている

紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている

 

本や雑誌となる出版用紙のうち約4割が、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場で製造されていることを、私は佐々涼子「紙つなげ!彼らが紙の本を造っている」を読んで初めて知りました。

東京ドーム約23個分という広大な敷地面積を有する製紙工場からは、雑誌、単行本、文庫、コミックなど、ジャンルや出版社の要求に応じた多彩な出版用紙が生み出されます。日本製紙石巻工場は、まさに、日本の出版界の土台を支える場所です。

その、石巻工場はあの日工場が操業を開始して以来最大の危機を迎えることになります。

2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生します。続いて、東北地方沿岸に巨大な津波が襲来するのです。日本製紙石巻工場も、巨大な揺れと巨大な津波に翻弄され、その機能を停止します。幸いにして当時工場で働いていた従業員には、犠牲者はありませんでした(交替勤務で自宅にいた従業員には犠牲者が出ています)。しかし、工場設備の被災は甚大であり、社員の中には工場廃止を覚悟した者もあったといいます。本書には、文中や巻末に被災時の工場の写真などが掲載されていますが、確かにこれを見れば、この状況から工場を再建することがどれだけの困難を伴うか、想像するに難くはありません。

しかし、日本製紙は諦めませんでした。芳賀社長、倉田工場長らをはじめとする上層部の決断とリーダーシップを発揮し、工場の現場各部門の責任者とオペレータたちが自分の役割を果たし、出版社や取引先とのパイプ役を担う営業部門の社員たちは、日本製紙というブランドを絶やすまいと奔走します。そして、倒れた日本製紙には、国内・海外の取引先やライバル会社も救いの手を差し伸べられました。これこそが、日本の持つ絆というチームワークなのだと実感させられる場面です。様々なサポートに支えられて、石巻工場は震災から半年後の9月に8号抄紙機を再稼働させることに成功します。日本の出版がつながれた瞬間でした。

去る11月25日に開催された第18回ハヤカワ国際フォーラムでは、本書の著者である佐々涼子さんが登壇し、同じくノンフィクション作家で津波犠牲者の遺体対応と向き合う人々を追った「遺体」の石井光太さん、石巻の書店・金港堂の武田良彦さん、紀伊國屋書店の竹田勇生さんとのパネルディスカッション、日本製紙佐藤信一常務執行役員との対談の二部構成で、「紙つなげ!」に関するトークイベントが行われ、運良く抽選で選ばれて参加させていただいた。

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イベントの中で、パネリストが口をそろえて語っていたのは、今回の日本製紙石巻工場の被災と復活が出版業界に与えたインパクトについてでした。あの日以降、出版業界では紙の本が出版できなくなるかもしれないという危機感が深く浸透していました。紙の本という世界で生きている関係者であるはずの自分たちが、これほどまでに、出版の基礎である紙というものに関心がなかったことに気づき、改めて、本が紙によって成り立っていることを認識させられたのです。それが、本に関わるすべての人々、作家、編集者、印刷会社、そして私たち読者も含めての気付きであったということなのです。

本書に登場する人物たちの浪花節的な生き様に鼻白む場面もあるかもしれません。しかし、誰もが困窮し疲弊していたあの時、彼らのモチベーションを保ち続けたのは、自分たちの工場を再び立ち上がらせるという気概だったのでしょう。決して構えることなく、目標に向けて努力する姿に、「紙つなげ!」と燃える関係者の矜持が感じられるノンフィクションだと思うのです。