タカラ~ムの本棚

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原発問題、非正規雇用、ブラック企業。時代の閉塞感が苦しい-木村友祐「聖地Cs(セシウム)」

東日本大震災による福島第一原発事故で、原発から半径20キロ圏内は立ち入りが制限された。その後、少しずつ制限区域は少なくなっていき、原発よりも南側の地域では、自由に立ち入り可能な場所もある。その反面、まだ広い範囲で立ち入り制限されている場所も多い。

聖地Cs

聖地Cs

 

木村友祐「聖地Cs(セシウム)」には、表題作と「猫の香箱を死守する党」の2篇が収められている。どちらも、今の日本が抱える病巣のような問題を題材にした胸苦しくなるような作品だ。

 
「聖地Cs」
舞台は福島県原発からほど近い制限区域にある牧場「希望の砦」にボランティアとしてやってきた“わたし”が、牧場の作業を経験し、牧場の経営者や他のボランティア仲間と交流する中で、自分がこれまで生きてきた人生の意味や自分に理解を示してくれない夫や社会との距離感を見つめなおす。
舞台となっている「希望の砦」のモデルとなっているのは、福島県浪江町にある「希望の牧場」だ。
「希望の牧場」は、原発から14キロの警戒区域に指定された場所にある。代表の吉沢氏は、そこで牛や豚などの家畜を育てている。しかし、その牛や豚は将来、食肉として出荷されることも、乳牛として牛乳を絞ることもできない。それでも、吉沢氏は国や自治体から要請された家畜の殺処分を拒否し、決して商品になることのない牛、豚を育て続けている。
「希望の砦」の代表である仙道は、吉沢氏をモデルにし、「希望の砦」でボランティアの手を借りながら牛の世話をしている。福島の現状、「希望の砦」の現状を訴えるため東京で街頭演説を行うなど、活動的な人物として描かれており、そのあたりもモデルである吉沢氏の彷彿とさせるようだ。
「聖地Cs」が描くのは、原発事故で取り残された牛や豚たちの現実ではない。その現実を背景にした人間の本質である。主人公であるわたしは、勤めていた人材派遣会社を周囲の同僚たちとの温度差から1年前に辞め、家庭では妻に対して嫌味な小言をネチネチと繰り返すばかりの理解のない夫との生活に疲れ果て、「希望の砦」のボランティアに応募した。つまり、彼女は自分の置かれていた場所から逃げ出してきた人物である。そんな主人公が、「希望の砦」の現実を経験し、直視することで、自らの現実も直視できるようになっていく。様々な意味での「復興」がテーマの奥底にしっかりの存在しているように思えた。
 
「猫の香箱を死守する党」
この作品に描かれるのは、非正規労働者の置かれた危うい状況とブラック企業問題である。
45歳の“おれ”は、ビル管理会社に派遣されて貨物用エレベーターの運転係=「ベーター係」として働いている。5歳年下の妻はホームページ制作会社の正社員だが、彼女の会社は少ない社員で無理な仕事をこなし、深夜休日勤務は当たり前でありながら残業代を出さない典型的なブラック企業である。
夫婦は、クロタロという名前の猫を飼っていて、他にも近所の野良猫にエサを与えたりしている。猫の存在が彼らの唯一と言っていい癒やしなのだ。
作品の中では、「日本一党」なる政権党が、集団的自衛権軍需産業の輸出などの軍事よりな政策を進め、それを支持する極右的な団体「真珠隊」がヘイトスピーチやデモ活動を繰り返している。この状況は、自民党安倍政権が推し進めようとしている様々な政策や、在特会と称する団体によって行われている過激なヘイトスピーチの問題、さらに先頃発覚した学生のイスラム国への参加企図の問題などともリンクしている。
現実の社会情勢を折込み、安定した雇用関係を維持することが難しい派遣労働者ブラック企業で心身をすり減らしながら働き、逃げることもできなくなっている労働者が、それでもどうにか生きている姿は、時代の閉塞感や人間同士の疑心といったものを正直に描いているように感じた。現実に見えている政治家たちの顔や一緒に働いている同僚たちではなく、FacebookなどのSNSで顔も見えないままに交流している友達の方が、より繋がっているという感覚も現代的であり、問題提起でもある。
 
2篇とも、大雑把な分類で言えば「社会派小説」となるのだろう。しかし、単なるジャンル小説では括りきれないような根深い問題を含有しているように思えた。小説は時代を写す鏡になり得ることを実感させられた作品でもある。