本書では、ハチ公、ボビー、パトラッシュのエピソードを題材に、犬がどのようにして忠犬となっていくかを考証している。
本書がとりあげる3匹の犬は忠犬の世界でもかなり有名に属する。
外出先で不帰の人となった飼い主の帰りを渋谷駅前で10年近く待ち続けたハチ公は、日本を代表する忠犬だし、イギリス・エジンバラで亡き主の墓を守り続けたグレーフライアーズ・ボビーの物語も忠犬と呼ばれるにふさわしい話だ。
最後のパトラッシュは、ハチ公やボビーとは違いフィクションの中に登場する犬である。
「フランダースの犬」の中で貧しく不遇な少年ネロの愛犬として、ネロとともにその生涯を閉じるパトラッシュの存在は、テレビアニメーションの影響で日本人の間では良く知られる存在である。しかし、物語の舞台であるベルギーでは、「フランダースの犬」のことはまったくといっていいほど認知されていないそうで、記念碑的なものが建てられているが、これは日本人観光客を当て込んで設置されたらしい。さらにいえば、「フランダースの犬」の著者はイギリス人だ。
さて、これらの犬たちがどうして“忠犬”と呼ばれるようになったのか。そこには、政治的な背景や戦意高揚といった人間のエゴが見え隠れする。例えばハチ公であれば、その忠犬ぶりは戦前の修身の教科書で、「オン ヲ ワスレズ(恩を忘れず)」として主君への忠節を賛美する題材に使われた記録があるという。
著者は、「犬は、飼い主の恩義に報いることを考えているわけではない」と記す。犬は飼い主に無償の愛を捧げるのであり、それは恩義に報いるということではなく、愛情を与えるに過ぎない。その無償の愛こそが忠犬の忠義の正体なのである。
ハチ公は、大好きな飼い主が帰ってくるのを待っていた。ボビーは、大好きな飼い主がそのお墓にいるからそこを離れなかった。パトラッシュがネロとともに過ごし、最期を共にしたのは、ネロが大好きだったからだ。そこには、恩義も礼節もない。ただただまっすぐな愛情のみが彼らを動かしていたのだ。それが、真実なのだと思う。
あなたの愛犬は、あなたを愛してくれていますか?