タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「野良犬トビーの愛すべき転生」W・ブルース・キャメロン/青木多香子訳/新潮文庫-たったひとりの少年イーサンを愛するために、トビーは何度も生まれ変わる

 

野良犬トビーの愛すべき転生 (新潮文庫)

野良犬トビーの愛すべき転生 (新潮文庫)

 

 

これまでに4匹の犬を飼ってきた。

最初の犬は、3、4歳の頃に飼っていた雑種犬だ。私はまだ幼くて、この犬の記憶はほとんどない。2匹目は、近所の空き家に捨てられていた子犬を父が拾ってきて飼い始めた、やはり雑種犬で、私にとっては彼が実質はじめての犬のようなものだった。やんちゃでいたずら好きの犬だったが、私も家族も彼を心から愛していた。2匹目が死んでからしばらくは新しく犬を飼うことはなかったが、あるとき親戚の家で子犬が生まれ、父がもらい受けてきた。黒くて少し大きい体をしたオスで、誰かが家の前を通りかかるといちいち吠えていたので、ご近所さんにはちょっと嫌がられていたと思う。その犬が老犬になり、病気になって寝たきりに近い状況になったときに、4匹目の犬がやってきた。それが、いま飼っているビーグルだ。歴代の愛犬の中では一番長生きしていて、今年(2019年)18歳になった。さすがに衰えてきたが、まだしっかりとした足取りで散歩にも行けるくらいに元気なおばあちゃんである。

W・ブルース・キャメロン/青木多香子訳「野良犬トビーの愛すべき転生」を読んで、我が家でこれまで飼ってきた4匹を思いだした。

本書は、犬の視点で描かれる。野良犬として生まれたトビーは、何度も生まれ変わりを繰り返しながら、ひとりの少年を愛し守るために生きていく。少年の名前はイーサン。トビーは、ベイリーとして生まれ変わったときにイーサンと出会った。

僕たちは互いをじっと見つめ合った。人間の子供、男の子だと、僕は気づいた。口元がやわらいで大きくにこっと笑い、彼は両腕を広げた。「子犬だ!」と彼が歌うように言うと、僕たちは互いに走り寄り、ただちに恋に落ちた。

こうしてイーサンと出会ったベイリーは、ともに成長していく。少年だったイーサンは成長して青年になり、子犬だったベイリーは成長して成犬になり老犬になった。いくつかの事件があり、少年と犬は強い絆で結ばれたが、やがてベイリーは老い、ふたりは別れの時を迎える。

だが、驚くことにベイリーはまだ生まれ変わった。今度は警察犬エリーとして、ジェイコブとパートナーを組んで仕事をするのだ。エリーの仕事は行方不明になった人を探すこと。彼女は優秀な捜索者になる。パートナーがジェイコブからマヤに変わっても仕事は続き、やがて最後の時を迎える。そして、また生まれ変わる。今度は、再びイーサンと出会うために。

犬を飼っていると不思議に思うことがある。はじめて会ったはずの犬なのに、なんだかとても懐かしくて、前から友だちだったんじゃないかという感覚があるのだ。全然違う種類の、全然タイプの違う犬なのに、前に飼っていた犬と同じ雰囲気を感じたりする。前の犬が好きだった遊びを次の犬も好きだったり、食事の好みが同じだったり、機嫌のいいとき悪いときの態度が似ていたり。

我が家でこれまで飼ってきた犬たちにも、そういう共通点を見出したりする。枝豆や落花生を殻ごと与えるときれいにむいて中身だけを取り出して食べるところ。焼き芋やとうもろこしが大好きなところ。おやつに紛れ込ませて薬を飲まそうとしても、毎回上手に薬だけ避けて食べるところ。全部、これまでの犬たちに共通しているところだ。

もしかしたら、トビー(ベイリー、エリー、バディ)のように、我が家にやってきた4匹の犬たちも、同じ犬の生まれ変わりなのかもしれない。だから、どこかに似たところがあって、最初から友だちになれたのかもしれない。

トビーが3回目に生まれ変わり、バディとしてイーサンと再会したとき、すでにイーサンは老人となっている。それは、今度はバディがイーサンを見送る順番になるということ。トビーが、ベイリーとしてバディとして愛情を注ぎ続けた少年と本当にお別れするということ。イーサンを見送ることで、「僕は魂の目的を果たしたのだ」とバディは感じる。

私が最後のときそばにいてくれるのは、どんな犬なのだろうか。

 

 

「犬ニモマケズ」村井理子/亜紀書房-村井さんちのハリーくんも2歳を過ぎてイケワンになりました!

 

 

イケワンだ!イケワンすぎる!!

翻訳家・村井理子さんの愛犬ハリーくんと村井家の日々を記したエッセイ集の第2弾「犬ニモマケズ」です。前作から1年、2歳9ヶ月になった黒ラブのハリーくん。体重45キロ(前年比10キロ増)と、体もすっかり大きくなりました。顔つきも精悍さを増していて、まさにイケワン! かわいさを残しながら成犬らしいかっこよさも身につけています。これは惚れてしまう!

本書を開くと、まずは琵琶湖の岸辺で楽しそうに駆け回るハリーくんや遊び疲れて眠ってしまったハリーくんの写真。思わず見入ってしまいます。大きな木の枝をくわえて水辺を走り回るハリーくん。水を蹴散らして疾走するハリーくん。躍動感がありますね。

小学生最後の夏休みを迎えた双子の息子さんたちと仲良く遊ぶ様子や、取材にやってきた雑誌や新聞の記者さんたちにガチンコで愛情を表現する様子は微笑ましかったり面白かったりで、犬がいるっていいなぁ、と思えてくる。

食いしん坊のハリーくんは、食欲も旺盛だ。去勢した犬は太りやすくなるというが、ハリーくんも例外ではない。いつもお腹をすかせていて、なにか食べ物をもらえないかと狙っている。村井さんたちも、厳しくしなければとわかっていても、ハリーくんのつぶらな瞳で見つめられたら、ついついおやつをあげてしまう。結果、ハリーくんは「立てば近江牛、寝たら恵方巻と書かれるほどに太ってしまった。

このままではダメだ!

そこで始まったのがハリーくんのダイエット作戦。ゆでキャベツやゆで卵、りんご、きゅうりなどを使ってドッグフードをかさ増ししたり、おやつは量より回数を心がけたり、さらに朝晩の運動もかかさない。イケワンをキープし続けるのは日々の努力だ。

村井さんの溺愛ぶりも変わらない。前書でもそうだったが、本書にもハリーくんへの愛が溢れている。村井さん自身も「あまりに褒めすぎでは?」と自覚しているが、同じく犬好きな読者からすると、自分が飼っている犬は他のどの犬よりもカワイイのだ。何をしても全部許せる。家具を破壊しようが、靴を振り回そうが、何をしようが全部許せる。

まだ3歳にもなっていないハリーくんは、まだまだこれから成長していく。3歳になり、4歳になり、やがては老犬とよばれる年齢になっていく。

子犬には子犬ならではのかわいさがあり、成犬には成犬ならではのかわいさがあり、老犬には老犬のかわいさがある。この先、ハリーくんが成長ともにどんな姿をみせてくれるのか楽しみで仕方がない。

きっと素敵な大人になり、おじいワンになっていくんだろうな。

 

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「犬がいるから」村井理子/亜紀書房-村井さんちの黒ラブ・ハリーの圧倒的なかわいさにキュン死しそう

 

 

カワイイ!かわいすぎる!!

村井理子さんの愛犬、黒ラブ(黒毛のラブラドールレトリバー)のハリーくんが、とにかくもうカワイイのだ。「どんだけカワイイの?」と思った方、まずは本書9ページに掲載されている子犬のころのハリーくんの写真をご覧ください。全犬好きなら間違いなくキュン死する!

村井理子「犬がいるから」は、生後3ヶ月で村井家にやってきた黒ラブのハリーくんの成長とハリーくんを溺愛する村井さんとその家族の日々を記したエッセイだ。ちなみに「犬がいるから」と書いて「きみがいるから」と読みます。

ここに書かれているエピソードのひとつひとつに、同じく犬を飼うものとして共感することばかりだ。

いつも寝ているくせに、村井さんがちょっとでも動こうものならガバっと起き上がり、どこへでもついていこうとするハリーくん。わかる! ウチもそうでした! そーっと動いてもすぐに気づいてすっ飛んできます(笑)

リビングの窓の網戸を体当たりでぶち壊してしまうハリーくん。わかる! ウチもそうでした! 何度網戸を張り替えても壊しちゃうから、あるときから諦めてしまっていまだに網戸はベローンと外れたままになってます(笑)

留守番ができなくて、村井さんがちょっとゴミ捨てに行くだけでもヒンヒンと寂しそうに鳴くハリーくん。わかる! ウチもそうです! ひとりで家に残されると大声で悲しそうに鳴き喚き、ご近所さんに「悲しそうに鳴いてたよ~」と報告されてます(笑)

他にも、バニラアイスクリームが好きなところも同じ。犬って、みんなバニラアイスクリームが好きなのかしら? まぁ、本当は牛乳がつかわれている人間用のアイスクリームは、乳糖という成分が入っていて、犬が食べるとお腹を壊しやすくなるから食べさせない方がいいんだけど、アイスを食べている足元にやってきて、つぶらな瞳で「私にもちょーだい!」という目でみつめられたら、「一口だけだよ~」と言いながらお皿にアイスを分けてあげちゃうのは仕方ない。不可抗力ですよね?

本書には、ハリーくんのことばかりではなく、村井家で起きるさまざまな出来事が綴られている。双子の男の子たちの成長。スケボーに乗ってハリーくんを散歩させているときに転んで怪我をしちゃう旦那さん(しかも骨折!)

なにより、村井さん自身が心臓の疾患で入院、手術を経験されている。およそ1ヶ月間の入院生活。その間、ハリーくんは旦那さんや双子の息子さんたちと村井さんの帰りを待ち続けた。村井さんがちょっとゴミ捨てに行くだけでも悲しげに鳴くようなハリーくんにとって、その1ヶ月間はどれだけ不安だったろう、寂しかったろう。

退院して家に帰ってきた村井さんをハリーくんはそっけなく迎えたそうだ。でも、それはきっとハリーくんなりの照れくささとか、拗ねた感じがあったんだと思う。「なんで僕をおいていなくなってたの?」「どうしてこんなに長く帰ってこなかったの?」とハリーくんは村井さんに訴えていたんだろう。「寂しかったよ」「会いたかったよ」という気持ちが強すぎて、逆に素直になれなかったのかもしれない。

犬ってそういうところがある。いつも全力で飼い主に愛を注いでくるのに、ときどき離れていくことがある。「あれ?どうしたのかな?」と思うけど、そこには彼らなりの愛情表現があるのだ。ツンデレではないけれど、愛情の爆発がある一方で少しだけ身を引いてくれるときもある。そのバランス感覚が犬の賢さだと、犬好きで犬バカな飼い主としては思っている。

村井さんちのハリーくんは、本書の時点ではまだ1歳9ヶ月。体重は30キロになり、一応成犬に分類されるお年頃ではあるけれど、まだまだやんちゃな子どもである。彼はまだまだこれから、村井家でいろいろな事件を巻き起こすだろう。村井さんにとって大変な日々が続くことになるが、その苦労を打ち消すほどにハリーくんはカワイイ。そのかわいさにぞっこんな村井さんには、大変さもきっと楽しい日々になるんだろうと思う。

 

「ジョン」早助よう子/自費出版-『絶対』とは、実は曖昧で危ういものなのだということを考えさせる短編集

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早助よう子「ジョン」の存在は、「本の雑誌10月号」に掲載された大塚真祐子さんの『新刊めったくたガイド』で知った。

 

「ジョン」には、表題作を含む9篇の短編がおさめられている。さまざまな商業誌に掲載された短編が7篇と書き下ろしが2篇だ。

ジョン
エリちゃんの物理
図書館ゾンビ
陸と海と
家出
この件に関して、わたしたちはこのように語った
おおかみ
アンナ
負債

著者のデビュー作でもある「ジョン」は、柴田元幸責任編集の「monkey business」に掲載された作品。その関係から、本書の帯には柴田さんの推薦コメントが寄せられている。

「ジョン」は、ホームレスを支援する支援者グループで活動するようこが、活動中に亡くなったホームレスが飼っていたジョンという犬をなんとかしてくれないかと相談されるところから物語ははじまる。だが、その後の展開はジョンをめぐる物語とはならない。なぜなら、ようこたち支援者も犬を飼うような余裕はないからだ。

支援者とホームレスは、支援するものと支援されるものの関係にある。だが、その関係は絶対的なものではない。支援者たちもギリギリのところで支える側に立っている。だが、彼らもいつ支援される側にまわるかわからないのだ。「ジョン」という物語の中にあるのは、そういう関係の絶対性の危うさなのではないだろうか。

例えば「図書館ゾンビ」は、大学図書館に勤める派遣職員の視点で描かれる物語だが、そこには正規職員と派遣職員、学生ボランティア、職場体験の中学生とともに、“図書館利用者ゾンビ”と呼ばれる利用者が登場する。図書館利用者ゾンビは、派遣職員たちからは愛されキャラだ。しかしながら、大学図書館としてはゾンビの存在は邪魔でしかない。ゾンビは、誰かには愛されていて、誰かには憎まれている。ゾンビの存在は、彼と対峙する人間の考え方によって意義が変わる。そこには、絶対的な存在価値はない。

本書全体に共通してあるものは、『絶対性の曖昧さ』なのだと私は考える。人間同士の関係性や人間の持つ価値観、親子関係、ジェンダー性。そのどれにも“絶対”はない。なぜなら、そういったものはどれも、私たちひとりひとりの考え方、思想によって変わるからだ。そのひとりひとりの変化をさまざまな角度からさまざまな描き方で表現しているのが本書なのだ。

とても読み応えのある短編集だ。私の中では、昨年(2018年)に横田創「落としもの」を読んだときに匹敵する衝撃があった。しかも、本書は自費出版本なのである。これだけの作品集が出版社からではなく、個人として刊行されていることにも驚いた。

自費出版本なので、ほとんどの書店では売られていないし、Amazonなどでも扱っていない。私は、ネットで検索して、蔵前にある「H.A.Bookstore」の通販サイト「HABノ通販」で販売されていたのを見つけて購入した。その他、hayasukejohn@hotmail.comに直接メールで注文して購入することも可能とのことです。

 

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「廃墟と犬 ファーベックス-犬と出かける都市探索」アリス・ファン・ケンペン&クレア/金井真弓訳/オークラ出版-朽ち果てて置き去りにされた都市の遺産の中で屹然とカメラをみつめるクレアの凛々しさを見よ!

 

 

首に女王を想起させるカラーをまとい、誇り高い表情をカメラをみつめる一匹の犬。クレアという名のブルテリアは、壁紙が剥がれ落ちて下地がむき出しになった壁を背に、薄汚れたソファに座っている。まるで貴族のように、その態度は自信に満ちているようにも感じられる。

「廃墟と犬 ファーベックス-犬と出かける都市探索」は、表紙の写真が印象的だ。

本書は、写真家アリス・ファン・ケンペンが彼女の愛犬クレア(ブルテリアのメス)を連れてヨーロッパ各地の廃墟をめぐり、クレアをモデルにして撮影した写真に1、2ページ程度の文章を記した写真集である。

荒れ果てた工業団地や放置された病院、主を失った宮殿や使われなくなった刑務所などの見捨てられて放置され荒廃してしまった場所を探索することを“アーベックス”というそうだ。アーベックスとは「アーバン・エクスプローリング」の略語。日本語では「都市探索」となる。

アリスは「イントロダクション」の中で、「アーベックスは荒廃の中に美を発見し、残されたものを通して物語の全体を思い描くことなのです」と記し、「こうした隠れた場所に足を踏み入れるたび、ワクワクした気持ちになり、アドレナリンが体を駆けめぐります」と記している。確かに、空き家になってボロボロに崩れかかった廃墟は、なんだか好奇心をそそられる対象になる。この場所には、過去にどんな人が暮らしていたのだろう、どんな生活を送っていたのだろう、どんな物語が気づかれてきたのだろう、と想像してみたくなる。

アリスは、アーベックスを実践する都市探索者だ。そして、写真家である。彼女は、愛犬クレアをモデルに廃墟の写真を撮影することを思いつく。モフモフの相棒と一緒のアーベックス、つまり“毛皮(ファー)のアーベックス=ファーベックス”だ。こうして、写真かと相棒はヨーロッパ各地の廃墟を訪れるようになる。

廃墟で犬をモデルにした写真を撮る。言うのは簡単だが実践するにはさまざまなハードルがある。場所が廃墟なので、敷地や建物の中に入るのも一苦労だし、そもそも許可を得ているわけではない。周辺の住民や管理者の目を盗み、どうにかして中に入り込んで撮影を行う。クレアが足を傷つけないように注意深く行動しなければならない。

撮影にも苦労がある。廃墟には光が乏しい。撮影には十分な光量が必要だが、廃墟の雰囲気を写し出すためには薄暗い部屋の姿を記録する必要がある。シャッタースピードを遅くし、露出時間を伸ばさなければならない。その間、じっと動かずにポーズを決め続けるクレアも利口な犬だと思う。普通の犬なら落ち着きなく動き回ってしまうから、撮影にならないだろう。クレアにはファーベックスモデルの才能があるのかもしれない。

本書でアリスとクレアが訪れている廃墟は23ヶ所に及ぶ。病院、ホテル、監獄、城、工場、別荘、農場。それぞれの場所で、クレアはアリスの望みに応じてさまざまなポーズを決めて写真に収まっている。

囚人服を着て自らの犯した罪を悔いているかのようにうなだれるクレア
女王陛下のマントを身にまとい威厳を感じさせる表情でカメラをみつめるクレア
罪人の懺悔に優しく耳を傾け、すべてを受け入れるように見守ってくれるクレア

写真に写るクレアの表情は、あるときは優しく、あるときは厳しく、あるときは威厳にあふれ、あるときは弱さをにじませる。犬は感情豊かな動物だと思うが、クレアほどにたくさんの違った感情を表情でみせてくれる犬は、他になかなかいないのではないだろうか。

命の輝きを失った廃墟と命の力強さに満ちた犬とのギャップが美しい写真集だと思う。

 

「レス」アンドリュー・ショーン・グリア/上岡伸雄訳/早川書房-元恋人の結婚式にを欠席するために世界をめぐる旅に出たアーサー・レス。中年作家の出会いと気づき、そして再生の物語

 

 

「違う! アーサー、違うって、その逆だよ! 僕は成功だったって言ってるんだ。喜びと支援と友情の二十年っていうのは成功だ。何であれ、ほかの人と二十年一緒に過ごしたのは成功なんだよ。バンドが二十年、活動を続けたら奇跡だろ。お笑いの二人組が二十年続けたら、それは大成功さ。夜がもうすぐ終わるからって、それが失敗だったことになるか? 太陽が十億年で燃え尽きるからって、失敗したことになるか? ならない、それでも太陽は太陽だ。どうして結婚もそうじゃないんだ? 一人の人間と永遠につながっているなんて、我々の本性ではない--人間の本能と違う。シャム双生児って悲劇じゃないか。二十年と、最後に幸せな車での旅。僕は思ったよ。まあ、素敵だった、成功のまま終わろうって」

アンドリュー・ショーン・グリア著/上岡伸雄訳「レス」には印象的な場面、言葉がたくさんある。引用したのは、主人公のアーサー・レスが、モロッコを訪れて、古くからの友人ルイスと交わした会話でのルイスの言葉だ。レスは、ルイスからパートナーと離婚したことを告げられる。「素敵だった、いい結婚だった」と言うルイスに対してレスは、「でも、別れたんだね。どこかが間違っていた。何かがうまくいかなった」と言う。それに対するルイスの言葉が冒頭の引用だ。

離婚にはどうしてもネガティブなイメージがある。長年連れ添ったパートナーとの関係を解消するというのは、レスが言うようにどこかに『間違い』があったり『うまくいかない』ことがあったのだろうと考える。だが、ルイスは離婚を失敗とはとらえていない。むしろ成功なのだと言う。彼の言葉には、彼の信念があり、彼とパートナーとの間に築き上げられた信頼20年間の生活で積み上げてきた幸福な時間があるのだ。その軌跡を作ってこれたことは奇跡なのであり、だから二人の結婚生活は成功だったと言っているのだ。

なんと前向きな考え方だろう。なんだか勇気をもらえる気がする言葉だ。

「レス」は、元恋人の結婚式を欠席する口実として、世界中の文学イベントをめぐる旅にでた作家アーサー・レスが主人公のユーモア小説である。2018年のピュリッツァー賞受賞作。

元恋人の結婚式を欠席するために、レスは無茶苦茶な旅程を作りあげる。

一番目、ニューヨークシティでH・H・H・マンダーソンとの対談(サンフランシスコからニューヨークシティへ)
二番目、メキシコシティで学会出席(ニューヨークシティからメキシコシティへ)
三番目、トリノ文学賞の授賞式に出席(メキシコシティからトリノへ)
四番目、ベルリン自由大学の冬季講座で5週間の授業(トリノからベルリンへ)
五番目、モロッコでゾーラという女性の誕生日旅行参加(ベルリンからモロッコへ)
六番目、インドで執筆中の小説の最終稿を仕上げる(モロッコからインドへ)
七番目、日本で伝統的な懐石料理を取材(インドから京都へ)

こうしてレスは、世界一周の旅の最中で元恋人の結婚式と自分の50歳の誕生日を迎えることになるのである。

「レス」は、レスが訪れた先々で巻き起こしたり巻き込まれたりするエピソードを笑いどころとするユーモア小説であるが、レスの気づきと再生の物語でもある。

レスが抱えているのは、元恋人への感情だけではない。作家としての迷いもあるし、50歳という年齢を迎えることへの不安もある。現在の彼には、その胸に抱え込んでいる問題や不安がたくさんあるのだ。

長い旅の中でレスは、彼の胸のうちに抱える不安をどう払拭していくのか。旅の中で経験する出来事が、彼にどのような変化を起こすのか。そして、旅の終わりにはどのような結末が待ち受けているのか。ユーモア小説としての一面だけでは収まらない魅力が、本書にはつまっているのだ。冒頭にあげた引用は、まさにその魅力のひとつだと思っている。

「今日もパリの猫は考え中 黒猫エドガーの400日」フレデリック・プイエ+シュジー・ジュファ/坂田雪子訳/大和書房-猫を飼っているみなさん、あなたのおうちの猫もエドガーみたいに考えているかもしれませんよ

 

 

エドガーは6ヶ月の子猫。フレデリック・プイエ+シュジー・ジェファ著、坂田雪子訳「今日もパリの猫は考え中 黒猫エドガーの400日」は、エドガーが“アホ家族”と呼ぶ一家との日々を、エドガーの目線で語る物語だ。

物語は、「とらわれて1日目」からはじまり「とらわれて400日目」まで続く。野良猫で自由気ままに生きてきたエドガーは、保護施設に入れられていたところを“アホ家族”一家に引き取られる。“アホ家族”には、マルクとセヴリーヌというありふれた夫婦とふたりの子ども(5歳のロドルフ、14歳のレア)、ポテロンという犬がいる。

エドガーにとって、“アホ家族”にもらわれてからの日々は苦難の日々でもある。「とらわれて2日目」、“アホ家族”たちになでまわされてエドガーはウンザリしている。それに、赤ちゃんに話しかけるみたいな言葉で話しかけるのもやめてほしい。でも、それも仕方ないのだ。だってエドガーはカワイイのだから。それは自分でもわかっている。

あんまり追い回されるのに辟易したエドガーは、「とらわれて5日目」の朝、ネズミを捕まえてマルクとセヴリーヌ夫婦のベッドに運んでやった。これで、エドガーがただカワイイだけの猫じゃなく、野蛮なこともできるとわからせることができるはずだ。だけど、エドガーの思惑ははずれ、夫婦は怖がるどころか彼を褒めちぎる。「なんてかしこい子なんだ!じょうずにネズミを捕ってきた!」って。

こうして、エドガーと“アホ家族”のたたかいは続く。イタズラを繰り返し、ライトタイプのカリカリには抗議の声をあげる。抱っこやなで回し攻撃をかいくぐり、お気に入りの場所でひとときの休息をとる。

すべてが、エドガーの目線なので、猫が人間をどうみているのかの描写が面白い。人間の考えていることと猫の考えていることのギャップが面白い。

犬と違って、猫は気まぐれというイメージがある。犬は、いかなるときも飼い主に無償の愛を注いで、飼い主になでてもらったり抱っこされたりするのが大好きだ。一方、猫はそのときの気分で態度が全然違ってくる。甘えたいときにはグイグイと「なでろ」「抱っこしろ」と寄ってくるけど、かまってほしくないときには「近づくな」オーラを放つ。人間は、「今なら触ってもいいかな?」とか「抱っこしても怒らないかな?」と様子を伺う。

そういう気分屋さんなところが猫の魅力なのだと、猫好きの人間は言うだろう。私は犬を飼っていて、どちらかといえば犬派だけど、猫も嫌いではないので、猫好きの気持ちもわかる。無理に撫でたり抱っこしたりしなくても、お決まりの場所で丸まってウトウトしている猫を見ているだけでもカワイイと思う。

エドガーは、“アホ家族”と一日一日を過ごしていく中で、少しずつ家族になじんでいく。家族との暮らしの中に自分の居場所をつくっていく。野性的なところは少し薄くなってしまうけれど、その分かわいさが増していく。

そしてなにより、エドガーは“アホ家族”が好きになっていく。大好きになっていく。

エドガーが家族と暮らした400日を読んできた読者は、彼の日々を、ケラケラと笑いながら、フムフムと頷きながら、オヤオヤと眉をひそめながら楽しむだろう。猫を飼っていたら、自分の猫もエドガーみたいに考えているのかなと思うだろう。飼っていなくても、猫ってこんなことを考えているのかもと思うだろう。猫好きならエドガーを愛しく思うかもしれないし、猫嫌いでも、なんだか楽しく思えてしまうかもしれない。

ようするに、猫が好きでも嫌いでも、本書は面白いと思うよということである。