タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

岩楯幸雄「幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!」(左右社)-多くの人に愛された街の本屋。その最後の日々。そして未来。

2018年2月、東京・代々木上原駅前にあった一軒の書店が40年の歴史に幕を下ろした。店の名前は『幸福書房』という。どこにでもありそうな街の本屋さんだった。

本書は、『幸福書房』の店主であった岩楯幸雄さんが振り返る店の歴史だ。豊島区南長崎の商店街、あのトキワ荘を目の前にした場所から始まった幸福書房の歩み。まだまだ本がたくさん売れた時代を経て、幸福書房は代々木上原に2号店を出店する。やがて、本が売れなくなり、出版不況と呼ばれる時代が訪れる。店は少しずつ規模を縮小し、店主は閉店を決断するに至る。

読んでいると、岩楯さんが心から本屋という仕事を愛していることが伝わってくる。そして、幸福書房という小さな街の本屋さんが多くの人に愛されていたことがわかる。それは、本書に織り込まれている『幸福書房最後の1日』を読んでも明らかだ。2018年2月20日、その日も幸福書房はそれまでの40年間と変わらず店を開ける。最後の日と知るお客さんが次々と店を訪れる。常連客もいれば、閉店のニュースを知ってはじめて店を訪れた人もいる。店内に入りきれないほどのお客さんが幸福書房を訪れ、みんなに見守られながら幸福書房は最後の営業を終える。

街の本屋が次々と姿を消していく。私の住む街でも、何軒かあった本屋さんはこの10年くらいの間でほとんどが閉店してしまった。中学生のときに学校帰りに友人たちと立ち寄って、少ない小遣いで悩みながら本を買った店も、かなり昔に閉店してしまった。今では、駅前のスーパーにテナントとして入っている小さな店が地域で唯一の本屋さんになっている。

だが、一方で店主の個性が光る特徴的な個人書店が増えてきている。ベストセラー本が並んでいるわけではなく、店主が自らのセンスで選書し棚を作っている本屋さんだ。また、個人でリアルな書店を経営しているわけではないが、カフェなどの一角を借りて本を並べる間借り本屋という形を実践している店主もいる。こうした個性的な本屋さんに行くと、本屋という形式にはまだまだ成長できる可能性が十分にあるんじゃないかと感じる。

幸福書房を閉めた岩楯さんも、少しの休息を経た後は、自宅となっている南長崎で『ブックカフェ幸福書房』を造りたいと考えているという。まだまだやりたいことがある。素敵な生き方だと思う。

残念ながら、私は幸福書房には一度も行ったことがなかった。閉店のニュースを知って、それまでに行きたいと思いながら、果たすことができなかった。南長崎に『ブックカフェ幸福書房』がオープンしたらぜひ伺いたいと思っている。

東江一紀著、越前敏弥編「ねみみにみみず」(作品社)-縦横無尽に放つオヤジギャグの波状攻撃に抱腹絶倒、ところどころにのぞかせる翻訳者としての矜持に胸アツ、名翻訳家の訳業にあらためて感謝。

翻訳家の東江一紀さんが亡くなられたのが2014年。翌2015年に開催されたイベント『言葉の魔術師 翻訳家・東江一紀の世界』に参加してからも、もう3年になるのかと思うと時間というのはあっという間に過ぎるものである。

「ねみみにみみず」は、2015年のイベントも企画・実行された翻訳家の越前敏弥さんが編集した東江さんのエッセイ集だ。数々の月刊誌などに掲載されたエッセイや文庫あとがきなどを集めている。タイトルの「ねみみにみみず」とは、なにやら聞き慣れない言葉で、「ねみみにみず(寝耳に水)」の誤植でしょ? と思ってしまうが、これは東江さんが好んで使っていたという決めゼリフなのだと「変な表記、じゃない、編者後記」の中で越前さんが書いている。

本書を編纂しているとき、こんな本が世に出ることを東江さんが知ったら、どう反応なさるだろうと考えてみた。すぐに答が浮かんだ。これには絶対の確信があった。東江さんはきっと、にやにやしながらこうおっしゃるにちがいない。

「寝耳に蚯蚓でしたよ」

これは東江さんが最も愛した決め台詞のひとつで、わたしは何度も耳にしたことがある。

 

本のタイトルにもなった「ねみみにみみず」以外でも、本書の各章のタイトルは、東江さんの名言(迷言?)から取られていて、

執筆は父としてはかどらず
お便りだけが頼りです
訳介な仕事だ、まったく
冬来たりなば青唐辛子
小売りの微笑
寝耳に蚯蚓
待て馬鹿色の日和あり

と続く。まあ、はっきり言ってしまえばオヤジギャグだ。そこらの中年オジサンが口にしたら、周囲をヒョーっと冷たい風が吹き抜けて、みなの背筋を凍りつかせることだろうが、そこは言葉の魔術師たる東江さんの言葉、なにやら神々しささえ感じ……ませんね、すいません。

収録されているエッセイも章タイトルからわかるように、軽妙洒脱な内容で、読んでいて笑える。でも、ただくだらないオヤジギャグが連発されるだけの軽薄なエッセイというわけではない。そこには、翻訳家として自らの仕事に誇りをもってのぞまれていたであろう東江さんの、翻訳に対する思いや、東江さんが教え育ててきた若い翻訳家たちへのエールがしっかりと込められていると感じる。

これまで、〈翻訳家・東江一紀〉としてしか知らなかったけれど、本書を読んでエッセイストとしても実にユーモラスで素敵な方だったのだと知ることができた。東江さんの魅力を知ることで、その翻訳作品をまた読み返してみよう、未読の本を読んでみようと思った。

額賀澪「拝啓、本が売れません」(KKベストセラーズ)-どうすれば、自分の本が売れるのだろう? 作家はその答えを求めて、いろいろな立場の人たちに会いに行く

読み始めるまで、本書は小説だと思っていた。というか、読み始めてからも、少しの間は小説のつもりで読んでいた。

額賀澪「拝啓、本が売れません」は、デビュー3年目の著者が、出版不況と言われ続けている業界の中で、どうすれば自分の本が売れるようになるかを、編集者、書店員、Webコンサルタント、映像プロデューサー、ブックデザイナーといった業界内外の人々に会って話を聞くことで追求するドキュメンタリーである。

と書くと何やら堅苦しさを感じさせるが、そこまで真面目くさったものではない。もちろん、著者や担当編集者にしてみれば切実な問題とは思うが。

『本が売れない』という話は、ずいぶんと前から聞いてきた。数十万部を売り上げる一握りの売れっ子作家を除けば、ほとんどの作家は初版が売れて重版がかかれば売れた方に入るのだという。本が売れないから書店も次々と姿を消していて、地元に書店がないという地域も少なくない。私が住む地域でも、10年くらい前には歩いていける範囲に数件の書店があったが、今では駅前のスーパーにテナントとして入る書店が1軒あるだけ。その書店も、売り場の半分は文房具が占めていて、本も週刊誌などの雑誌やベストセラーになっている自己啓発本やダイエット本がほとんどに、文庫本とコミックスが並んでいる程度しかない。単行本は少しだけ、海外文学は影も形もないという有様だ。

「なぜ本が売れないのか」

著者にとっては切実な問題だ。自分の出した本が売れなければ、当然収入は減ってしまう。なにより、これまでに出した本の売上実績が次に出す本の初版部数に影響するのだ。松本清張賞を受賞してデビューしたときは、初版で1万部出してもらえたのに、それが8千部になり、5千部になる。実にシビアな世界だ。

「とにかく本を売りたい。そのためにはどうしたらいいのか」

著者は、その答えを求めて様々な人に会いに行って話を聞く。

過去に数々のライトノベルをヒットさせた元敏腕編集者の三木一馬氏、様々な仕掛けで出版業界から注目される『さわや書店』の書店員松本大介氏、Webコンテンツによるマーケティングに精通したWebコンサルタントの大廣直也氏、メディアミックス戦略を仕掛る映像プロデューサーの浅野由香氏、書籍の顔とも言える表紙カバーに斬新なデザインを取り入れヒット作を生み出すブックデザイナーの川谷康久氏。こうした人たちの話をひとつずつ聞いていく中で、著者は本を売るために何をするべきなのかのヒントを得ていく。

著者が聞いた話のすべてを実践したからといって、それがすぐに本の売上につながるわけではない。だが、長い目でみたときにコンスタントに売れる作家になることは可能なのかもしれない。近い将来、著者の小説が大なり小なりヒット作となっているところを見ることがあるかもしれない。

ただ、もしかすると本書が著者にとって一番のヒット作になるかもしれない。だって、これまで額賀澪という作家の存在にも気づいていなかった私のような読者が、書店の店頭で思わず手にとり買ってしまったくらいなのだから。

キム・ヨンハ/吉川凪訳「殺人者の記憶法」(クオン)−失われゆく記憶。連続する殺人事件。過去の自分と現在(いま)の自分。その語りは騙りなのか?

獣医師である“俺(キム・ビョンス)”の裏の顔は、残忍な連続殺人犯だった。一人娘のウニと表向きは平穏に暮らしているが、冷酷な殺人鬼としての過去があった。

キム・ヨンハ「殺人者の記憶法」は、キム・ビョンスという殺人者の独白で語られる物語だ。それは、殺人者による罪の告白ではない。彼の語りは、真実を語っているとは限らないからだ。それは、意図的な騙りなのか。または、失われゆく記憶、壊れゆく脳が彼にみせた幻想なのか。読者は、常にその真実性を疑いながら、この本を読み進めることになる。

キム・ビョンスは、アルツハイマー認知症だ。彼の記憶は日々確実に失われていく。今食べたものを忘れる。自分の家を忘れる。たったいま起きたことが記憶として残らない。だけど、遠い過去の出来事は鮮明に覚えている。自分がかつて殺してきた人々のことも。

記憶の回路が壊れゆく中で、連続殺人事件が発生する。彼は思う。「事件を起こしたの俺なのか?」と。そんなとき、彼は車を運転していて軽い追突事故を起こす。彼に追突された四輪駆動車の運転手は、車に乗ったまま降りてこない。どうにか、パク・ジュテというその運転手と連絡先を交換した彼は、四輪駆動車のトランクから血が滴っているのをみつける。

連続殺人事件の犯人は、キム・ビョンスなのか、それともパク・ジュテなのか。容疑者のひとりが物語の語り部となっていることで、読者はそこに書かれていることを常に疑わなければならない。だからといって、ここに書かれていることがすべてキム・ビョンスによる騙りであり、信用ならないのかと考えると、彼が抱えるアルツハイマーという病気の存在がクローズアップされ、“嘘”は書かれていないが“真実”であるとも限らない、というモヤモヤした考えにとらわれてしまう。

真正面から「この語り部は信用できない」と断言できないところに、この物語の面白さがある。どこまでが真実なのか。どこが嘘なのか。どこに記憶の混乱があるのか。かつて、何人もの人たちを冷酷かつ残忍に殺してきたキム・ビョンスが、新たな連続殺人事件の犯人でもあるのか。それとも、パク・ジュテこそが連続殺人事件の犯人なのか。

キム・ビョンスの中では、連続殺人事件の犯人はパク・ジュテだという疑念が強まっていく。やがて、一人娘ウニの恋人としてパク・ジュテはキム・ビョンスの前に現れる。娘の恋人が連続殺人事件の犯人だと気づいたとき、キム・ビョンスは娘を守るためにパク・ジュテを殺す計画をたてる。そして、物語はラストシーンを迎える。

ラストまで読み終えたとき、私はただ困惑した。そこには、それまで積み上げてきた物語に対するひとつのイメージがガラリと壊される真実が記されている。それはまさに“真実”だ。そして、その真実が示されたことで、読者はこの物語のすべてに対して困惑するのだ。自分が今まで読んできた殺人者の記憶が、もしかするとすべて彼の病が引き起こした妄想なのではなかったのかと不安になるのだ。

本書は、第四回日本翻訳大賞を受賞した。それは真実である。

本が好き!✕やまねこ翻訳クラブ合同企画「やまねこオフ会」でオススメされたやまねこ本の紹介(2)

去る2018年4月30日に、書評コミュニティサイト本が好き!とやまねこ翻訳クラブの合同企画として「やまねこオフ会」が開催されました。オフ会参加者は全部で30名。紹介されたオススメやまねこ本は全26作品となっています。

前半ではそのうち13作品を紹介しましたので、後半では残りの13作品を紹介します。なお、オフ会の模様はTogetterにまとめていますので、そちらもよろしければ!

togetter.com

 

では、後半13作品行きまーす!

 

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本が好き!✕やまねこ翻訳クラブ合同企画「やまねこオフ会」でオススメされたやまねこ本の紹介(1)

去る2018年4月30日に、書評コミュニティサイト本が好き!とやまねこ翻訳クラブの合同企画として「やまねこオフ会」が開催されました。オフ会の模様は、ハッシュタグ『#やまねこオフ』でリアルタイムツイートされており、Togetterにまとめられています。

togetter.com

 

オフ会では、参加者からオススメのやまねこ本(やまねこ翻訳クラブ会員の翻訳者によって翻訳・刊行されている訳書のこと)をひとり3分で紹介するプレゼン企画を行いました。プレゼンのルールは、

  1. 本が好き!の参加者は、オススメのやまねこ本を紹介する。
  2. やまねこ翻訳クラブの参加者は、ご自身が翻訳した作品からオススメのやまねこ本を紹介する。(まだ訳書がない会員は、1.に準ずる)
  3. 紹介するやまねこ本は、絶版・品切れでも可とする。

オフ会の参加者は全部で30名。そのうち、28名の参加者からオススメやまねこ本のプレゼンがあり、全26作品が紹介されました。本プログでは、その26作品についてAmazonと本が好き!書評ページへのリンクを設定しています。興味をもったやまねこ本がありましたら、ぜひお手にとって読んでみていただきたいと思います。

 

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マイケル・ボーンスタイン、デビー・ボーンスタイン・ホリンスタート/森内薫訳「4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した」(NHK出版)-絶対に忘れてはいけない。絶対に繰り返してはいけない。

大勢の子どもたちが写った一枚の写真がある。アウシュヴィッツ強制収容所が解放されたときにソ連軍が撮影した記録映画の一場面である。誰も生きて出られないとされた強制収容所から解放された喜びと安堵、希望に満ちているはずの子どもたちの目は、しかし、一様に虚ろで不安そうな表情をうかべている。疲れ切ったその表情からは、アウシュヴィッツで過ごした日々の過酷さが伝わってくる。

子どもたちの中でも、ひときわ虚ろな表情で写っている前列右側の男の子が、本書の著者であるマイケル・ボーンスタイン氏である。このとき、マイケルは4歳だった。

本書「4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した」は、マイケル・ボーンスタイン氏が、自らの経験を語ったノンフィクションである。

ユダヤ人であるマイケルは、ポーランドのジャルキという町にあるユダヤ人ゲットーで生まれた。彼が生まれる2年ほど前に、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ジャルキもナチス支配下におかれた。ユダヤ人は財産を奪われ、仕事を奪われ、なにより自由を奪われた。「第三帝国(ドイツ)への貢献は、そして帝国をより豊かにより強くするのを助けるのは、ユダヤ人の責任だ」とドイツ軍は主張し、ユダヤ人からすべてを奪い取ったのである。

ナチスドイツのファシズムについて記述された様々な文献を読むたびに、怒りと恐怖で胸がいっぱいになる。いったい、どうすればこれほどに人間は残酷になれるのだろうかと思う。過酷な強制労働、冷酷無比な大量虐殺行為、不衛生で満足な食事も与えられず痩せ衰えていくユダヤ人たち。なんの罪もない、ただユダヤ人であるというだけで迫害されたのだ。

ユダヤ人迫害は、マイケルのような幼い子どもであっても関係なかった。むしろ、幼い子どもや老人ほど、労働力として使えない、反体制的な思想を持つようになるかもしれない、などの理不尽な理由からと躊躇なく殺害された。生き残った子どもも人体実験のモルモットのように扱われたりして、結果として殺された。本書の序文でマイケルはこう語っている。

収容所が解放されたときに生き残っていたのは2819人で、そのうち8歳以下の子どもはわずか52人だった。

解放後のマイケルの人生も本書には記されている。戦争後も彼らはユダヤ人であるということで白い目で見られ、嫌悪され続けた。ホロコーストの恐怖からは解放されても、ユダヤ人に対する偏見という恐怖からは解放されることがなかった。

それでも、マイケルとソフィーは自由を求めて生きた。今を生きているものたちの絆と死んでいったものたちの思い出を糧としながら。

長くマイケルは自分の過去を語ろうとはしてこなかった。だが、本書冒頭にある写真の存在を知り、その写真が「ホロコーストは嘘で、存在しなかった」とするサイトに利用されていることを知ったことで考えを変える。

もしも私たち生存者がこのまま沈黙を続けていたら、声を上げ続けるのは嘘つきとわからず屋だけになってしまう。私たち生存者は、過去の物語を伝えるために力を合わせなければいけない。

マイケルが語ってくれた過去の物語を私たちはこれからも語り継いでいかなければならない。